『まんが日本の歴史 11』大月書店(ISBN:4272500511)

副題「昭和 戦前期 十五年もつづいた戦争」向中野義雄(まんが) 加藤文三・黒羽清隆・吉村徳蔵・鈴木亮(編集委員)
第一話は『山宣、東京に死す』。治安維持法に反対した山本宣治が主人公。
「山宣」とは山本宣治のこと。支持者は敬愛の念をこめて彼を「山宣」と呼んだ。
1923(大正12)年、京都帝大の講師をしていた山本宣治は各地で農民や労働者を集めて産児制限講演会を開いていた。しかし産児制限は当時の「産めよふやせよ」という日本の政策に反するため宣治の講演は警官に妨害されることが多かった。山宣の活動は労働運動と結びついていたため警察の監視の対象となっていた。
1925(大正14)年、国民の声に押されて政府は普通選挙権を認めることにしたが、同時に反政府活動を取り締まるための治安維持法も成立させる。
1926(大正15)年3月、労農党が結成され山本宣治もこれに加わった。労農党は共産党の指導の下、中国への干渉に反対する運動を進めた。
1927(昭和2)年には対支非干渉全国同盟の第一回協議会が開かれる。
1928(昭和3)年、初めての普通選挙法による衆議院議員の総選挙が行われることになり、山本宣治は労農党から京都二区に立候補。労農党をはじめとする無産政党に対する政府の選挙干渉は横暴をきわめたが、山宣は1万4411票を獲得し第3位で当選する。この年の3月15日、共産主義者とみなされた1658人が治安維持法違反で全国一斉検挙される、いわゆる「3・15事件」が起きる。6月には政府が治安維持法をさらにきびしいものへと変える「改正案」を議会に提出。時間切れで成立しなかったため、天皇の命令による緊急勅令として公布施行した。最高刑が10年から死刑に引き上げられ、共産党員でなくとも活動に協力した人であれば処罰できるようになった。
1929(昭和4)年2月8日、第五六議会の予算委員会で山本宣治は治安維持法違反で逮捕された者たちが警察に拷問されていることについて政府を追求。しかし政府は逃げるばかり、またこの問題を取り上げたのは466人の代議士の中で山宣一人だけだった。3月4日、大阪で開かれた全国農民組合の第二回全国大会で宣治は「山宣ひとり孤塁を守る。だが私は淋しくない。背後には大衆が支持しているから」と演説。その夜、治安維持法改正反対の演説草稿を手に上京する。3月5日、議会入りした宣治からその草稿を見せられた議員はこんな演説をするのは無謀すぎると反対した。議会では討論打ち切りとなり山宣は質問することもできなかった。治安維持法改正の緊急勅令は賛成249、反対170で事後承諾された。その夜、東京の旅館、光栄館に一人の男がやってきて宿泊中の宣治に面会を求めた。どうしても男が帰らないので宣治は会うことにした。部屋に入ってきた男は用件をたずねる宣治に「自決勧告書」を渡し、刃物を取り出すと宣治を刺した。山本宣治は東京の光栄館で暗殺された。犯人は右翼の七生義団の黒田保久二。
第二話『柳条湖、午後十時二十分過ぎ』、第三話『その日、ハイビスカスの花は赤かった』、第四話『黒い雨』。あとがきにあたる『おうちの方へ・先生へ』は「八月十五日が何の日かは、みんな知っているのに、九月十八日を知っている人は少ないのです。戦争が終わった日は知っていても、戦争を始めた日をおぼえていません。どうしてでしょうか。」ではじまります。言われてみるとたしかにそうですね。1931(昭和6)年9月18日、関東軍の参謀らが柳条湖の満州鉄道線路を爆破、総攻撃を開始する(満州事変)。
学習まんがの『日本の歴史』や『世界の歴史』は図書館の児童書やまんがのコーナーにはたいてい置いてあると思いますが、いろんな出版社から出ているので、各社版を読み比べてみるのもおもしろいかも。石ノ森章太郎がライフワークにした『マンガ 日本の歴史』もある。
追記:2006-05-09 記事題名、本の紹介部分を修正