生は有限、死は無限

お正月のはてなブクマでは御手洗が旬、なのだが、小泉時代を振り返ると宮内義彦オリックス会長の存在感が大きかった。
宮内オリックス会長、と聞くと、反射的に「規制緩和」という単語を思い浮かべる。なんでも民営化とか。以前読んだ宮内会長へのインタビューの中では最後の一節が引っかかった。

事後チェックルールは整っているか。

 「そこは各官庁の腕の見せ所。人手とお金がかかるものだという認識が必要だ。現在は移行期で嵐の中にいる。この程度で我慢できずに放り投げるようでは、日本経済はうまくいかないだろう」

(引用元:縦並び社会・格差の源流に迫る:ブレーキなき規制緩和)

人手とお金がかかる←こういうことも言うことがあるのね。
別のページでも宮内語録が読めるけれど(建前の破壊された世界)、宮内氏に限らず格差拡大を肯定する人たちは、一部エリートは無限の可能性を生み出すから優遇し、あとはそのおこぼれを食ってればいいんだ、という言い方をよくする。
無限の可能性。無限。
宮内オリックス会長は、パワーエリートにしては見た目の印象が暗い。そのせいか、彼の口から「無限」という単語が発せられると「死」を連想してしまうのだ。
生は有限だが、死は無限だ。
ここにきて環境問題が広く関心を集めるようになったのは、生の有限性が意識されるようになったからなのか。でも、その一方で、死の無限性への誘惑が強まるのもわかる気がするけれども。どんなに幸せになっても、昔に帰りたい。そんな歌があったのを思い出すな。
ま、とりあえず、今年新年の注目株は御手洗冨士夫経団連会長、ということで。