通り魔事件について

昨日はお昼にワイドショーを見ていたのですが、先日秋葉原で起きた通り魔事件について時間の大半を割いており、殺人事件を取り上げる時よくやってることをまたやってましたね。
犯人の心の闇に迫る、という趣向で、近所の人や元同級生、職場の同僚などから聞き出した話の断片や、小中高校時代に文集に書いた文章を拾い出したりして並べ、犯罪学だか心理学だかいわゆる"専門家"の事件の犯人に関するコメントなるものを引っ張り出す、という、おなじみのパターンです。
専門家はこれまでにもこの種の事件を起こした犯人に対してよく使われてきた紋切り型の台詞をくりかえしていただけでした。
こういうやり方はすでにいろんなところで批判もされているわけで、それでもワイドショーはやらないわけにはいかないものなのでしょうか?
嫌なら見なければいい、と言われればそれまでですし、だから今日はお昼のワイドショーは見てないし、もう今週はニュースショーの類は見るのをやめとこうと私は思ってます。
実際、犯人の取り調べもまだ始まったばかりですし、取り調べや裁判の過程で犯人自身が事件について話そうとするでしょうから、それまで待ってもよさそうなものなんですよね。仮に犯人は黙秘を貫いたとしても、捜査陣は事件について調べ上げていくでしょうし、この事件を追いかけるジャーナリストだって出てくるかもしれません。
類似の事件は過去に何件も起きており、犯罪実話などにもよく出てきますが、通り魔殺人または無差別大量殺人事件の犯人(男であることが多い)は、犯行前後の発言や行動パターンには似通ったところがあり、殺人を犯すほどに退行した精神状態になった場合は、思考や行動が類型化するのではと思ったりもします。
ただ、そうなるまでの過程には、個々人様々な要因があり、そこには生来の気質や性格、生育環境なども含まれますが、事件を起こした時点での当人を取り巻く環境、職場や社会の中で被るものは犯行へと追い込んでいく大きな要因でしょう。
労働環境が犯人に多大なストレスを与えていたというのであれば、やはり問題視されなければなりません。弱い人だから犯罪へと走っていった、ということになるにしても、そこまで脆弱な人でなくとも同様にストレスで苦しんでいる人がいるのであれば、どうすればもっとよい環境ができるのか、考えられなければならない。
ストレスのせいで、通り魔にはならないけれど、自殺してしまう人はいるのではないですか?
自殺はすでに日本の社会問題になっているのです。