アイドル

草なぎ剛は釈放され、記者会見をしていた。お騒がせして申し訳ありません、というような意味のことを言い頭を下げた際、大量のカメラのシャッターが押される音が聞こえ、フラッシュが瞬いたのが見えた。
なんか、すごい。こんなおおごとになってるのか。
そして私の脳裏には、岡田有希子が自殺したときの情け容赦なき報道の嵐の記憶が甦っていた。
世間は、アーティストに対してより、アイドルに対してはるかにサディスティックになる。
前々からうっすらとそう感じていたのだが、そう感じることはべつに的外れでもなさそうだ。
では何故そうなるのか、と思いをめぐらすと、アーティストは自己申告できる肩書きだが、アイドルは一般人から授与される称号だからだ、そう思い当たった。
無名の若者がアーティストを目指すというのはあたりまえにあるし、自分がまったく知らない人物から「私はアーティストです」と名乗られたところで、あ、そう、で終わる。しかし、アイドルだとそうはいかない。
アイドルは、世間の大勢から「あの人はアイドルと呼んでもおかしくない存在だよね」と認められて、はじめてほんとうのアイドルになれる。
アイドルは受け身の存在なのだ。受け身の存在であるアイドルに対して、アイドルという称号を授与した側の世間は、あいつには場合によってはとことん嗜虐的になってもかまわない、そう思ってしまうのだろう。そして、それは、まちがっているとはいえない。
歴史上究極の受け身の存在はジーザス・クライストだろうが、アイドルもその受け身という属性ゆえ状況次第でクライスト化しやすいのだろう。
しかし、今回の件が公然わいせつとなるのは納得がいかない。
愛染恭子や一条さゆりは公然わいせつで捕まったことがあるけれども、他の人たちに意図的に見せつけようとしているパフォーマンスがわいせつだと判断されたら公然わいせつになるのではないのだろうか。草なぎの場合そのような意図あってのフリチンではないのは明白だ。
「酔っていたので覚えていません。ごめんなさい」でみんなにゆるしてもらえる草なぎと、愛染恭子や一条さゆりが同列に並べられるのは、愛染や一条に対して失礼ですらあると思う。
しかし、こう考えると、公然わいせつなんてのは、世間の "良識" とやらを逆撫でしてやろう、と意気込んだアーティストが自身のパフォーマンスの一環としてあえて日中人目の多いところで全裸になるなり局部を露出するなりして警察に逮捕される、そういう事例にこそふさわしい罪状なのではないだろうか。ま、いまどきの世間様は全裸や局部くらいでびくとも動じないだろうけど、それでも世間体を考えて、目撃したら一応「きゃー」とかいっておどろいたふりくらいはしてくれそうだし。
でもね。アーティストがそんなことしても、今回の草なぎの件ほどの騒ぎにはなるまい。仮にニュースで取り上げられたとしても「オモシロい人もいるもんですね」程度の小さな扱いで、全国的には気がつかない人が多数派のまま終わるんじゃないだろうか。
そんなことを想像すると、やっぱりアイドルってすごいな、と思うわ。自分を中心とした磁場に強引に日本全体をひきずりこめるんだもの。