村山雅人『反ユダヤ主義 世紀末ウィーンの政治と文化』講談社メチエ 54

反ユダヤ主義―世紀末ウィーンの政治と文化 (講談社選書メチエ)

反ユダヤ主義―世紀末ウィーンの政治と文化 (講談社選書メチエ)

表紙に載った紹介文。

十九世紀末、遅れてきた自由主義と他民族国家の都、ウィーン。
西欧社会への同化を望み、巨万の富を蓄えて急激に擡頭したユダヤ人に、排斥の矛先が集中した。
同化人を敵視するドイツ民族主義ユダヤ人を除外した社会主義運動、
カトリックプロテスタントとの宗教問題、同化系と東方系にわかれたユダヤ人同士の相克……。
政治・民族・宗教、すべての問題は、なぜ「反ユダヤ主義」を軸に展開されたのか。
複雑な彩りをみせた世紀末ウィーンの政治と文化に新たな光をあてた力作。
(引用元:村山雅人『反ユダヤ主義 世紀末ウィーンの政治と文化』講談社メチエ 54)

紹介文を読んで興味を持った方はこの本を読んでみてください。
以下は、私の読書メモとなります。
小泉政権の頃から、「いまの日本はワイマール共和国に似ている」ということが方々で言われるようになった。第一次世界大戦の敗戦を機に生まれたワイマール共和国はつかの間の自由を謳歌した後、ナチスに乗っ取られてしまう。ナチスを率いたヒトラーが若き日を過ごしたのは、反ユダヤ主義が広がりはじめた世紀末ウィーンだった。
第一次世界大戦の前、プロイセン戦争の敗戦の副産物としてオーストリア自由主義体制が現出した。商いなどで成功し、子弟に高等教育を受けさせ、社会的上昇を目指していた同化ユダヤ人にとって、この時代の変化は社会進出の好機となった。世紀末ウィーン文化の担い手として、また支援者として、市民階級の一員となった同化ユダヤ人の果たした役割はたいへん大きなものだった。
しかし建設ブームに湧いた自由主義の時代は長くは続かなかった。バブル崩壊後、投機熱に浮かされていた市民たちの多くが大きな損失を出し、自由主義に対する不信感が広がる。そしてまた、金持ちの市民階級より下位に置かれていた大衆が、一大政治勢力となり始めていた。
自由主義体制下で台頭した同化ユダヤ人の活躍が目立ったため、バブル崩壊で痛手を被ったドイツ人の間で「自由主義ユダヤ主義」「資本主義はユダヤ主義」という捉え方がなされるようになる。そして、反資本主義の政治行動のひとつとして反ユダヤ運動が起こった。これまでにもあった宗教に起因したユダヤ人排斥とは異なった、大衆政治運動としての反ユダヤ主義(アンチセミティズム)が生まれたのだ。
当時画学生としてウィーンにいたヒトラーは、ドイツ民族派ゲオルク・シェーネラーと、ウィーン市長でもあったキリスト教社会党のカール・ルエーガーから影響を受けたという。

キリスト教社会党も、ドイツ民族派も反ユダヤ宣伝を党勢拡大の手段に使った。この両党の代表者である、シェーネラーとルエーガーにも多くの共通点が認められる。しかし、シェーネラーが失敗者であったのにたいして、ルエーガーは大衆のアイドルであった。かれらの政治家としての経歴には大変なちがいがあった。
その原因を、ショースキーは『世紀末ウィーン』において指摘しているが、次の点に認めることができる。シェーネラーは反体制派であった旧左翼の大ドイツ民族主義の主張を新右翼イデオロギーに、すなわち、人種的汎ドイツ主義に変形してしまった。それに対して、ルエーガーは伝統的なオーストリアイデオロギーであるカトリック思想に依拠しつつ、フォーゲルザングの社会改革理論を取り入れてこの政治的なカトリック思想をキリスト教社会主義という新左翼イデオロギーに変容させたのだった。
(引用元:村山雅人『反ユダヤ主義 世紀末ウィーンの政治と文化』講談社メチエ 54)

シェーネラーはユダヤ人嫌いが高じてキリスト教を否定する発言をしてしまうようなところがあり、大勢の支持は得られなかった。ルエーガーは宣伝で大衆の心をつかむのがうまかった。
ヒトラーは、シェーネラーから人種としてユダヤ人を差別するやり方を、ルエーガーからは反ユダヤ主義的言説を人心を勝ち得る手段として巧みに利用する術を学んだ。後にヒトラーがよく使う「ユダヤ高利貸し」や「ユダヤ寄生虫」ということばは、当時ルエーガーがウィーンの人々の間に定着させてしまったものだった。
反ユダヤ主義を政治宣伝に利用する時、不満の矛先を向ける対象にすべて"ユダヤ"という修飾語をつけるというのがよく見られる。「ユダヤ自由主義」「ユダヤ資本主義」「ユダヤ銀行」「ユダヤ相場師」「ユダヤ新聞」「ユダヤ共和国」等々、敵をすべてユダヤなんとかにしてしまうのだ。
ブルジョワ自由主義の下で富の分配の恩恵にはあずかれず、過酷な労働を強いられ不平等を実感していた労働者たちは、資本主義に幻滅し、社会主義に希望を見出すようになった。オーストリア社会民主主義運動のリーダーはユダヤ人インテリだった。キリスト教社会党を率いるカール・ルエーガーはそこに目をつけ、「社会主義ユダヤ主義」と宣伝、国政でライバルとなった社会民主党への攻撃に反ユダヤ主義を連動させる。
しかし、どちらの政党も反資本主義を掲げていたため、支持基盤を共有しており、局面によっては共闘声明を出したりすることもあった。
ウィーンでは既に資本主義はユダヤ主義という見方が広まっていたために、社会主義者による資本主義批判はしばしば反ユダヤ主義的論調と重なった。
反ユダヤ主義の高まりで居辛くなったウィーンを脱出し、ユダヤ人国家を建設しようというシオニズム運動も起こるが、このシオニズムの主張も、「ユダヤ人は出て行け!」と叫ぶ反ユダヤ主義の叫びと妙にだぶる。
既にウィーンの市民社会で上層部を占めるに至った同化ユダヤ人は、シオニズムには冷淡だった。しかし、民族主義の激化した東方からウィーンに流れ込み下層に押し込められていた東方ユダヤ人は、シオニズムに未来を見る。
反ユダヤ主義はもともと自由主義体制下で成功した同化ユダヤ人に対する反感から生まれたものだが、実際に迫害にさらされるのは下層で生きる貧しい東方ユダヤ人だった。苦しい日々を宗教を支えに生きる東方ユダヤ人にとって、ユダヤ人国家建設の地は、約束の地・パレスチナ以外に考えられなかった。
この本では、世紀末ウィーンを生きた同化ユダヤ人の例として、フロイトマーラー、そしてカール・クラウスを挙げている。特に言論人だったカール・クラウスは活動に政治や社会の状況がダイレクトに反映されていて、おもしろい。

感想

日本でファシズムの心配がなされるとき、戦前の日本がまた戻ってくるのではと言われることが多いが、仮にこれからファシズムのような空気が日本を覆うとすれば、そのときの状況はワイマール共和国に似たものになるのではないだろうか。ヨーロッパが前世紀に獲得していた市民的な感覚、様式を、日本は第二次世界大戦後やっと自分たちのものにできたというところがあると思う。
戦後日本の民主主義というのも、敗戦の副産物という面がある。
世紀末ウィーンや、ワイマール共和国の例は、背景となるヨーロッパの歴史的事情があり、そのまま日本になぞらえることはできそうにないが、いま日本で起こっている事を思い出させる事象も多く、日本のことを考えるときのヒントになりそうだ。
ナチスも世の大きな流れを押しとどめることはできなかった。反動はいつかは治まる。だから簡単に絶望することはない。しかし、試練の時代は十年、二十年という長さで続く。弱い者は生き延びることをまず考えなければならない。そして、あのナチスの時代に、ユダヤ人をかくまった個人がいた、ということも、忘れてはならないのだろう。