プレッジ

DVDで鑑賞。
引退した刑事が少女殺害犯を追い続ける。
刑事ジェリー(ジャック・ニコルソン)の引退パーティーが行われているとき、少女が殺害される事件が起こる。最後の事件と現場に向かったジェリーは、無残な遺体を見た後、被害者の両親に事件を知らせにいき、悲しむ母親に殺された少女が作ったという十字架を見せられ、これに誓って犯人を捕まえてくれと頼まれる。
犯行現場の近くで山で遊んでいた少年に目撃された不審な男が逮捕され、取調べで自白した後自殺する。事件はこれで解決とされたが、ジェリーは男の様子から納得できないものを感じ、引退後一人で事件を追い続けるのだが……。
アメリカの雪深い田舎町の光景が様々に切り取られ、音楽とともに物語を流れるように運んでいく。全体にやわらかい色合いで、人の顔のアップや、手元の物体をまじまじと眺めるような場面の印象も強く残るせいか、クロード・ルルーシュのいくつかの作品を連想したりした。
主人公のジェリーがこだわる殺された少女の描いた絵と少女の友だちだった子どもから聞いた話は、事件の手がかりとしては確かさに欠けており、ジェリーも周囲の人に自分がなぜ少女の絵にここまで強いひっかかりを感じるのかをうまく説明できない。そのうち、彼が妄執にとらわれているだけのように見る人も出てくる。
偶然が重なり合う現実は、人の想像では捉え切れないものだ。言わずもがなのことだけれども、つい忘れがちになるそんなことを思い出させてくれる作品だった。
役者は有名な人が多く出ており、皆うまい。個人的にはトム・ヌーナンが柄を生かし切った役で出ていたのがうれしかった。現実は人の想像を超えるということの内に、見た印象と事実とが違っていたというのは日常もよくあって、そういう例の中には人物の外見から受ける印象というのも入っているわけだが、この映画ではトム・ヌーナンが、外見で誤解されやすい人を体現しているのですね。
トム・ヌーナン、はじめて見たのは『ウルフェン』でしたか。いい役というか、実直なジャーナリストみたいな役だったんですけど、顔がアップになったとき変質者みたいに見える顔だよな、と思った。その後、いろいろな作品で、その顔を生かした悪役や変質者もやっていたと記憶するが、芝居は俗に定着した「いかにも」な印象をうまく使ってこそ活性化するものでもあり、既にそれが定式となっているのが一般人にもわかっているから、そこを外すことで効果を出すこともできるんだけれども、芝居を楽しむのと現実を見るのとはもちろん別で、でもさ、考えてみると現実を見る目ってすでに子どもの頃からテレビで見たドラマや映画の影響受けまくっててさ……なんかあれだ、そんなことがいま頭に次々浮かんできてる。
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