村上春樹『1Q84』の続きが読みたい!

二度ほど村上春樹1Q84』に触れた日記を書いて(参照:*, **)、それをきっかけに小説を見直してみたりして、このおはなしの続きが読みたい、そういう気持ちが強まってきた。
どういう点が気になるのか。
まず、謎の教団の後継者になりそうな人物が、book1-3 までを読む限りでは天吾の他に見当たらないこと。
そして青豆が迷い込んだ1Q84という世界は、小説「空気さなぎ」が現実でもある世界だったのだが、それを天吾の手によって小説として世に出た「空気さなぎ」を読むことで実感した青豆は、自分がその世界に含まれていることによろこびを感じていたということ。
これは、村上春樹が取材して本を出したオウムにまつわることどもをたしかに思い出させる。尊師のいる世界に自分が含まれる満足感、尊師が語る現実が存在していないのなら存在させられない現世のほうがまちがっているという思い。そういうものごとを連想させる。
前に書いた感想で、村上春樹にはスピルバーグが「マイノリティ・リポート」で見せたような自己批評の気配が感じられない、と書いてしまったが、あれは私の考え違いだったかもと思い始めた。映画全体が暗く病的な雰囲気を漂わせていたせいで「マイノリティ・リポート」からはスピルバーグの諦念のようなものを私は感じてしまったが、なにもあんなふうにならなくてもで自己批評的であることはできるわけで、村上春樹は自己を客観視した上で、その限界を描き、その上で次の段階へ進もうとしているのかもしれない。
小説家としての力量に自信を持つが故のふてぶてしい居直りとも受け取れるが、さらに物語の先を期待させてくれるのだから、私はそれでかまわないと思う。書き続けることで新しい展開が見えてくることだってあるのだから。
天吾と青豆が再会を果たす物語としては book3 で一応完結しており、無理に続きが出なくてもいいわけだが、続編という形ではなくとも、このおはなしは続くのだろう。