ON AIR オンエア 脳・内・感・染

DVDで鑑賞。
カナダの田舎町、ポンティプールがゾンビに襲われる。
グラント・マジーはラジオのDJ。大きな局の仕事はクビになったが、小さな町・ポンティプールのラジオ局で、地元の情報を伝える番組を受け持っている。女性プロデューサーはマジーの挑発的な冗談は、地域ラジオの放送にはふさわしくないと考えていた。アシスタントの若い女性はプロデューサーとマジーの間でぴりぴりすることも多い。町の様子を外から伝えるケンという男性スタッフもいる。
吹雪の日、ケンから気象情報を伝えてもらい、マジーがいつもの調子で喋り、プロデューサーは注意する。そんな中、臨時ニュースが入ってくる。メンデズ医師の診療所が暴徒に襲われているという。ケンや警察官や目撃者の情報から、暴徒の数がだんだん増えていっているのがうかがえる。何が起こっているのか? ラジオ局の面々は不安になってくる。
そのうち、暴徒化したものは人を襲って食っているらしいことがわかってくる。外部からの音声情報だけが頼りだが、警察が外出禁止令を出したことが伝えられた。そしてラジオ局の周りにも、ゾンビ化した人の群れが押し寄せてくる。……
この映画の中では、ウイルスに感染した者が人を襲い人に感染させていくのだが、「ゾンビもの」と見ていいだろう。主要登場人物は、ラジオ番組に関わる三名、外部の様子が音声情報だけで伝わる中での不安と恐怖を描いている。視覚的な肉体損壊場面を極力排除して、ことばで伝えられる情報を主にした異色のゾンビ映画になった。
冒頭、マジーがフランス語の単語と、その音から連想する英語の単語を並べて、似た音のことばなのに意味がまったく異なるところからでてくるおかしさを活かした話をしている。これが、徐々にゾンビ状況につながっていくあたり、おはなしとしてよくできていると思った。怖さのなかにもおかしみが混じるのは、台詞と役者の力による。この映画の最大のギミックはことばだといっていいだろう。そして背景には英語とフランス語が並存しているカナダという国の事情がある。
映画を観て思い出すのは、筒井康隆笙野頼子の小説でときどき出てくる意味を離れたことばの音的な脈動。これはお二人がジャズが好きなことに関係しているのだろう。ジャズの好きなタモリが仲間とすることば遊び、そこから生まれたハナモゲラ語、モンティパイソンがやってた一音の間々に余計な音を挟み込んだ話し方など。もっとも、これらは常識的なことばの体系があった上でのお遊びなので、じつはこの映画で出てくることばをめぐるおはなしとはちょっとちがうわね。鳩山由紀夫の脳内でことばがどういう風に意味と接合されているのかとか、母語としていることばの意味を意図的に理解しないようにできるのかどうかなど、映画は100分に満たないので、観終わった後、余計な事を想像してみるのもおもしろいかもです。