週刊金曜日が「批判」の金光翔氏と岩波書店のことに触れている

金曜日から(2011/7/8)の、一番最後、原田成人による文章。ウェブ上で読めます。
http://www.kinyobi.co.jp/backnum/data/from/data_from_kiji.php?no=2156
一部の人には既に金光翔氏のブログ「私にも話させて http://watashinim.exblog.jp/」を読んで知っていることになるだろうけれども、週刊金曜日の読者の中には知らない人もいるだろうから、「<佐藤優現象>批判」が少しでも多くの人に読まれるきっかけになればいい。
はてなで金氏のブログをブックマークしたりする人の中には、哂う人もいるかもしれませんね。週刊金曜日は金氏によって<佐藤優現象>の例として度々取り上げられているし、上の記事が載った7月8日号にはちょうど佐藤優による月一回の連載が掲載されていたりしますから。
私は『週刊金曜日』や『世界』に対して一部の左派・リベラルが抱いていたような期待が最初からないせいか、佐藤優が出てきたからといって雑誌そのものを非難する気にはならないのですが、金氏の論文はすごくおもしろくて、朝日新聞が論壇時評で注目すべき論考と取り上げたにも関わらず、それ以後ふっつりとマスコミで話題にならなくなっているのが不思議でならないのです。大々的に取り上げると、佐藤優に興味持ってる人が雑誌買うんじゃないかなあ。
私にも話させて:論文「<佐藤優現象>批判」 全文公開(http://watashinim.exblog.jp/i4/
佐藤優だが、保守の側から見れば、衒学趣味を織り込むのが巧い流行作家の一人でしかないのではないだろうか。インテリ向けの落合信彦のような存在なんじゃないかな。外交官時代の体験談の語り口は宮崎学安部譲二に通じるものがあるし、娯楽色が強い読み物として広く楽しまれているように私には見えるのだが。
佐藤優と同趣向のものを書いている人は他にもいるわけだが、その中で佐藤優だけがスターになるのは、やはり華があるから、おもしろく読みやすい文章を書ける才能があるからだ。彼がこんなに俗受けするのは何故か? 文芸をやっている人が分析してくれてもいいのではないか。
一方、劇画のように通俗的でおもしろい佐藤優を識者として過大に持ち上げるのは、保守ではなく、何故か左派・リベラルの側。保守をバカにしている自称ホンモノのインテリたち。そこがおかしいし、なんでこうなるの?
金光翔「<佐藤優現象>批判」は、そこに光を当て分析しようとする試みだと私には見えて、興味深く読んだ。私から見れば変質したというよりは、リベラルの地金が出た、という印象が強いのだけど、そこまで余裕がなくなってるのはどうしてなんだろう、というのがある。俎上にのせられたリベラルからは反論もあるだろう、売れっ子・佐藤優をきっかけに、どんどん話が展開していって、それにつれて何かが起こるかもしれない。書いていて野次馬的好奇心でしかないなと思うけれども、雑誌を読むのが好きな者として成り行きに注目していたのだ。
しかし、そんな風にはならず、「<佐藤優現象>批判」はマスコミには黙殺されたままだ。
金氏のブログを読んだ人の間では、佐藤優を重用する『世界』や『週刊金曜日』を非難、ボイコットしようとネット上で呼びかけている人もいる。しかし、私はそれにはのれない。
文藝春秋週刊新潮に比べれば、岩波世界や週刊金曜日は既にして十分に売り上げが少ないからだ。いまさらボイコットする必要があるのだろうか。仮に不買運動して、ほんとうに雑誌が消えたら潔癖な人たちはすっきりさっぱりしてうれしいのでしょうか。岩波世界や週刊金曜日を読むことで時事を知る人たちだっているのに。
雑誌の読者すべてがインターネットを活用できるわけではないんですがね。私もインターネットを利用していますが、活用はできていないと思ってます。インターネットは見ないけれども、雑誌なら読むという人もかなりいることを知っています。
というか、結局、自分がそうなんだな。夏だし暑いし、私みたいなとろいのはネットは控えて、図書館にでも行ったほうがいいのかもしれない。
でも、金氏のようにマスコミに黙殺された場合は、自分でネット上で発信できるといのはすごく大きいし、ネット上で注目すべき記事があったら、週刊金曜日のように誌面でそれを紹介する、そういうことがもっと増えればいいんじゃないかな、と思います。