7月24日の日記で、ノルウェーでのテロのニュースを見て、ティモシー・マクヴェイのことを思い出し、マクヴェイについて触れていたロバート・J・リフトン『終末と救済の幻想』(岩波書店)を引っ張り出してきて読み返したことを書いた。この本はオウムについて調べて書かれた本だったので、オウムのテロのことも思い出し、それにつながってオウム事件にこだわり続ける村上春樹のことも思い出した。
図書館に寄って、村上春樹インタビュー集『夢を見るために毎朝僕は目覚めるのです』(文藝春秋)を読む。オウム事件について知りたいという欲求から書かれた『アンダーグラウンド』『約束された場所で』については、「夢の中から責任は始まる」と題されたジョナサン・エリスによるインタビューで特にくわしく語られていた。
『アンダーグラウンド』では、村上春樹は被害者から話を聞いてまとめた後、感想として、麻原彰晃が信者に与えた物語がテロを引き起こしたこと、自分自身も物語を紡ぐことで自らが救われ、また様々な発見をし、それを読者と共有できるよろこびを知っている小説家として、麻原と自分に差はあるのか、ちがいがあるとしたらどこなのか、麻原のようになってしまう危険は自分の中にないのか、テロを起こさせる物語の力、それをよい方向に活かすことはできないか、等々、テロにショックを受けた小説家として、村上春樹の書く小説とくらべればずいぶんと素朴、愚直な印象を与える文章で吐露していた。私はそれを読んで、村上春樹はまじめな人だな、小説家として誠実で、仮にそれが欠点を露にすることがあっても、こういうものをちゃんと書く人がいてよかったな、と思った。それまで村上春樹に対して自分が偏見を持ち、大して読みもしないで知ったようなことをいったりしたことを恥じた。
『1Q84』を読むと、彼はまだそのことを考え続けているようで、その主題からして小説を書き続ける限り考え続けなければならないようなことなのかもしれないけれども、その過程をおもしろい小説として読めるなら、読者としてはうれしいことだ。
物語の力、というと、ノルウェーのテロで犯行を認めたアンネシュ・ブレイビク容疑者は、何年も前から準備を始め、テロの直前までずっとその過程を日記のように書き続けていたことがわかっている。単独犯と見られているブレイビクだが、長い犯行準備期間中、彼を支え続けたのは、自らが編んだ物語だったのではないだろうか。
報道されたものを読む限りは、ブレイビクを支えた物語は、日本でいえば『正論』や『ムー』、またはネトウヨブログに書かれているのと似た、白人向けの極右ロマンでしかない。キッチュでばかばかしい代物だが、なぜばかばかしいとわかるのかというと、読む私の中にもそういうロマンが触れるばかばかしい部分があるからで、まあ気持ちはわからないでもないでもなくもないけれども、あんなものでよくあそこまで根気が出せるなあ、と思ってしまう。
村上春樹のような作家にしてみれば、そんな本に夢中になってないで、こちらの本も読んでみてくれよ、まずそう言いたくなるのではなかろうか。
でも、こればっかりはね。書き手だけではなく、読み手の力と相乗してはじめて物語の力が出るわけだから。引き合う相性、出会うタイミングもあるし。村上春樹は読者としての自分の体験も踏まえて、そこらへんまで想像力をめぐらしてくれそうだけれども、その恩恵が届くのは、村上春樹の読者までだろうし、だからいいんだというところもあるしね。
話が散らかってきているが、日本も自国のネトウヨ言説や、オウムの信者のその後をもっと気にかけてもいいのではないか、まだまだ調べることはあるんじゃないか、そんな気分で図書館の雑誌コーナーに行って、週刊朝日があったので手にとってざっと見ると、2011年7月29日号に「今静かにブッダがブーム!!」という記事が出ていて、流し読みしただけだが、オウム事件のとき痛手を負った筈の島田裕巳がコメントを寄せていて、既成の仏教に飽き足らない人が増えているんですよね、と明るく語っていて、なんだか白けた。
「既成の仏教に飽き足らない」オウムに入信した若者は同様の発言をしていたし、人間・ブッダに魅せられる、というのも、ブッダをメシアとして見たがっている人が増えているということなのだろうか、麻原も自分をキリストになぞらえたりしてたよな、と、文面の目に入る端々からオウムを連想してしまった私。
そんな私は、犯罪実話マニアとして、テロに反応しているだけだ。それはわかっているし、震災をきっかけに仏教に興味を引かれた人は、これをきっかけに仏教に関する本を読んで新たな発見を得るのだろうし、そういえば五木寛之の小説から親鸞ブームが起こったりしていたよなあ。みんなノルウェー事件をきっかけに欧米の極右に関心が高まってる私なんかよりずっと教養があって趣味もいいんだ。そうなんだ。
でも。島田裕巳は、さすがにオウムのことをまったく忘れたわけではないだろうに。阪神大震災の後、オウムがサリンテロを起こした。そしていま再び、大震災の後にネオ仏教ブームって、なんかぞわぞわしないのだろうか。
そういえば、オウムもユダヤ陰謀説にはまっていた。ブレイビクと似た嗜好性を持つ語り部だったのだ。