オウムをめぐる冒険

前にオウムの事件にいまでもこだわり続けている文化人は村上春樹しか思いつかないと書いてしまったが(*)、もう一人、ずっとオウムを取材し続けている人がいた。森達也

A3

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『A3』は月刊プレイボーイに連載されていたんじゃなかったかな。
森達也週刊金曜日12月16日号に寄稿していた。オウム裁判がすべて終わり、次は死刑執行がいつかが焦点だという論調の報道ばかりが目立つことへの違和と、麻原彰晃の精神状態がおかしいのは明らかなのだから、彼を治療して麻原自身の口から事件について語られるようにして、もっと事件そのものを掘り下げて調べるのが先だろうと述べていた。
このオウム事件についてだが、教団内で最初に起こった信者が死んだ事件(報道で読む限りは事故なのだが)のレポートは、他の幹部から後になって「一本ずれていた」と評された村井秀夫が麻原のことばを言葉通りに受け取ってしまったことから起きた悲劇に見える。麻原彰晃も村井秀夫についてはちょっと欠けたところがあると見なしていたと思しき発言をしていたことも報じられているが、それでも麻原は村井を近くに置き続けていた。麻原彰晃にとって村井秀夫とはどんな存在だったのか。そういうことをもっと知りたい。
私が書くと、犯罪実話マニアの好奇心になってしまうが、教団がカルト化していったのは、麻原と信者の関係の質と、麻原個人の性格的傾向によるところが大きいだろうことがうかがえるし、それはどんな組織でも見られることなのではないだろうか。
麻原はわかりやすい物語を信者に与えて彼らを自らの世界に閉じ込めた。そして今、私たちがオウムを安直に物語化して処理してしまおうとしている。
カルトやテロの研究にとってオウムは格好の教材になり得る筈だ。
いまさらいっても仕方がないが、テレビがオウムについて取り上げる時、坂本弁護士と友人だったというジャーナリストや弁護士を事件にくわしい人として出演させたのは間違いだった。彼らは取材される側にとどまるべきだったのだ。
なお、滝本太郎弁護士は、『A3』の講談社ノンフィクション賞受賞に抗議している。
http://sky.ap.teacup.com/applet/takitaro/20110903/archive
私は、あれは森達也によるオウムをめぐる冒険の記録だと受け取ったし、オウムを取材したジャーナリストの体験談としては興味深いものになっていると思うのだが。