私にとっての小林信彦エッセイの肝

はてなダイアリーの「見て読んで聴いて書く」で週刊文春2012年11月1日号が取り上げられていました。
http://d.hatena.ne.jp/allenda48/20121104/1352016956
私もこの号は、犬の表紙と尼崎殺人事件の記事目当てに購入しております。尼崎の事件ですが、人物相関図が複雑で、後で読もうと新聞から切り抜いた記事がたまる一方だったので、この週刊文春の記事によって事件の輪郭がつかめた次第です。
さて、上の「見て読んで聴いて書く」で小林信彦の連載エッセイも要旨が簡潔にまとめられているのですが、小林信彦エッセイのファンである私にとって最も重要だった部分が出ていません。私にとっての小林信彦エッセイの肝とは、たとえば以下のような部分です。(強調は私:nesskoによる)

もっともその前に、自由だったころのNHKの諷刺番組が、さんざん吉田をからかっていた(作・三木トリロー)とき、ぼくの中にこの怪しい老人はすり込まれていたから、日本国民に対しては偉そうな態度をとり、米国に対しては互角のようなポーズをとる人物という印象は少しも変らなかった。
(引用元:小林信彦「大マスコミ抜きで情報を仕込む方法 (『本音を申せば』連載第722回)」 週刊文春2012年11月1日号)

小林先生が輝くのは、たとえば、戦後初期の頃NHKの番組で吉田茂をからかうコントの作者が三木トリロー(三木鶏郎)だったと教えてくれるときです。少なくとも、私にとってはそうなんです。この輝きさえあれば、一時的に孫崎享にかぶれていても、かつては敗戦時に国のために尽力した吉田茂のはたらきぶりをほめていたのを度忘れしていても、私にとってはささいなことでしかありません。
調べてみますと、小林先生の言う「自由だったころのNHKの諷刺番組」とは、連合国軍占領下の日本のラジオ番組『日曜娯楽版』だとわかります。
そして、連合国軍占領下がいちばん“自由”を体感できた時期だったと記憶している人たちが一定数いるのだということにも思い至るのでした。