週刊金曜日「森美術館問題を考える」

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2013年3月1日発売の週刊金曜日933号に「森美術館問題を考える」と題して、抗議側の意見と、抗議に疑問を持つ見方をする側からの記事が同時掲載されています。ぜひ、読んでみてください。

  • 宮本有紀『人権侵害の表現を「芸術」とするのか』
  • 渋井哲也『解釈や鑑賞における感受性は多様だ』

私はネット上でのまるで森美術館に抗議することが異常だといわんばかりの反応の洪水にショックを受けました。(http://d.hatena.ne.jp/nessko/20130130/p1
そのせいもあって、まず抗議した側の意見を整理してまとめてくれた週刊金曜日編集部の宮本有紀さんに感謝します。
ネットでは、傷ついた女性を支援する活動を本当にしているのならこんなことをしている暇はない筈だが、という主旨のコメントをいくつか目にしました。抗議文や記事を読めばわかることですが、ソーシャルワーカーとしてずっと性暴力被害者の救援に関わっているからこそ抗議をしているのです。まずそれだけでも知って欲しい。
また、妄想を隠れた場所で楽しむのならわかるが公的空間に芸術作品として展示するのは止めて欲しい、という言い方がおかしいと嗤うコメントも多々見かけました。でもそれは、抗議する側も表現の自由は大切だと十分承知しているからこそ、そういう言い方になるのであって、小さなギャラリーでマニアックな趣旨を理解するファンに見せるのならともかく、森美術館で広範な一般人相手にこれこそ芸術なんですと提示するとなると、展示には社会的に正当と認知しますよという意味合いが濃くなりますので、その点をもっと重くとらえて欲しい、そういう要望を出しているわけです。
私も、森美術館会田誠作品、とくに抗議する側が問題視したいくつかの絵をどう評価しているのか、個人的興味から知りたいです。というのは、私はかなり前ですが会田誠の絵をいくつか展示会で観たことがありますし、またその後雑誌のグラビアで紹介されていた別の絵も見て、これって昔の吾妻ひでおギャグマンガのネタをアートの舞台に引っ張り出してきてベタにやってるだけなんじゃないか、という感想を持ったからです。ごく一部の絵だけ観た素人観客の個人的感想でしかありませんが、正直どこがそんなにすごいのかよくわからないのですね。絵そのもののうまさからくる迫力というのはたしかに美術作品然とした高級感がありますが、ベタにやっているように見える者には当然諧謔には見えませんし、ひょっとして吾妻ひでおの不条理ギャグマンガをマジ受けしているのではないかとすら疑っています。自分のギャグマンガが不細工に現実化される日常がそこここに現れるようになった頃、吾妻ひでおはアル中になって失踪してしまったわけですが、その一方で芸大経由のエリート美術界の真ん中で諧謔になりそこねた作品群がもてはやされていたのか、それは何故だ、美術界ではどう評価されているのか。ぜひ一般客向けの具体的な森美術館からのお勧め口上が聞きたいですね。
渋井哲也さんの方は、抗議に「?」となってしまった側のことが見えてくる参考記事として読みました。
実在しているか否かをジャッジするのは男なんだなあという、わかっているんだけどやっぱりそうなのか、というのと、女性はまずその場所にいる男にまともかどうか判別されることで、それから後はもうそこですべて決まってしまうんだな、などと、まあいろいろ考えさせられましたね、あたりまえといわれればそれまでだし、普段はどうせそんなものだと流してしまっているようなことを、あらためて思い出さされました。
あたりまえだとやりすごすことで平穏に暮らせるというのならそれでもいいとも言えますが、それがあたりまえだとされると傷ついて苦しんでいることも実在しなかったことにされてしまう、そういう人たちもいるんだよね。それを忘れてはいけないし、まして傷ついて苦しんでいるのは異常だなんてことにされてはたまらない。抗議の声を上げた人たちはまずそのことを訴えているのだと私は受け取っている。
森美術館問題に関して言えば、公的空間といっていい美術館に表現の自由という名目をつければ何を展示してもいいのか、ある種の作品が何故人権侵害であると抗議されたのかと、問題点がはっきりしているので、その点についてならこの問題を論じる際の言論の場での男女の非対称性についても取り上げることはできるのではないだろうか。
これをきっかけに性暴力表現と人権について、議論が深まることを期待したいです。