村上龍「オールド・テロリスト」第三十二回 文藝春秋2014年2月号

88ミリ対戦車砲による砲撃は終わった。耳を押さえうずくまる関口をよそに、キニシスギオ一味の老人たちはさっさと後片付けをはじめる。犯行現場に立ち会ってしまった関口はカツラギと共に監禁されることを覚悟するが、予想に反してミツイシらは事実を伝えてくださいねとだけ念を押し、二人を解放してくれた。「わたしたちは、同志ではないですか」……
関口は失業し妻子に逃げられどん底にあるとはいえ、まともな生活者の感覚を持っているので、ミツイシに同志扱いされるのには抵抗感を覚えるし、ジャーナリスト意識をくすぐられたのは自覚しつつも警察に通報したほうがいいのではないかと考えたりする理性は残っている。ただ、ここで前回で強調された秘密保護法が施行された後の日本が舞台だというのを思い出したほうがいいのだろう。NHKのラジオやテレビのニュースで事件の報道がされているのだが、解説に呼ばれた識者も見当違いのことを言っているだけなのを目の当たりにし、関口は自分が見たり聞いたりした事実をジャーナリストとして伝えなければ、と危機感を抱くのだ。
物語の中でまだ真相不明の大事件についてテレビで語られる様子が、オウムのサリンテロや9.11やライブドア事件の時のテレビのニュースショーを連想させ、テレビ番組というその場での話の流れややりとりに沿ってファストフード的に提供される事件についての語りが、そのまま世間に広がっていき、その後事実がわかったからといってそのときのあやまりが訂正されることもなく、俗説として世に浮遊したままになる、ありがちな困った一面を思い出させる。
関口は書くのだろうか。書いたものは掲載されるのか。仮にそうなったとして、それを受けた警察やキニシスギオ一味はどう動くのか。
次回が楽しみです!