永田雄三/羽田正『世界の歴史15 成熟のイスラーム社会』中央公論社

世界の歴史 (15) 成熟のイスラーム社会

世界の歴史 (15) 成熟のイスラーム社会

オスマン帝国サファヴィー朝を中心に、16〜17世紀のイスラーム社会の「最後の繁栄」の実相をできるだけ具体的に伝えようという本。
中央ユーラシアから出てきた遊牧民トルコ人がこの本で描かれる時代の主役となる。オスマン帝国サファヴィー朝、共に国造りの過程ではトルコ人が活躍している。
私は、たぶん映画「アラビアのロレンス」などの影響のせいで、イスラームといわれるとすぐにアラブのベドウィンの姿を思い浮かべてしまう傾向があるのですが、預言者ムハンマドは商人でしたし、トルコ人になると出自が中央ユーラシア、トルコの文化はアラブとは異なった面を持っているのですね。しかし、自分の中では、映画や小説などから得たぼんやりと幻想的な記憶から、全部、イスラームとかサラセンとかいうイメージで捕まえられていました。
しかし、オスマン帝国というのが、広大な領域を支配した際に、異民族や異教徒を統治するために柔軟な対応をし、実際的なやり方でとにかく帝国の一部としてしまっていたそうで、しかも人材登用となると能力があれば出自はあまり気にされないというのもあり、支配下に置いた各地の文化が様々な形でオスマン帝国の文化に融け込んでいった模様。

オスマン文化は、ちょうど古代ギリシアとローマとの関係に似ている。つまり、宗教や哲学といったソフトウェアを生み出したギリシアにアラブを、建築、土木、軍事技術といった実践的なハードウェアを作り出したローマにオスマンをなぞらえることができるのではなかろうか。
(引用元:『世界の歴史15 成熟のイスラーム社会』中央公論社 p177)

ただし、ゆるやかに統治されていた多民族の帝国は、中東に国民国家ブームが波及すると、各地で各民族が独立を求めて反乱を起こしやすい因子を含んでいたともいえましょうか。その前に、西欧列強が植民地化していじったというのもありますが、今の中東の紛争地帯は元をたどればオスマン帝国だったりすることが多いですよね。
サファヴィー朝の章では、ペルシア文明の存在感に胸打たれます。たぶんアラブやトルコより自分たちのほうが洗練されているくらいの矜持があっただろうと想像できる。正倉院の白瑠璃碗もペルシアのものですね。
それと、図版で見られるハージュー橋やジュッデ学院、イランのモザイクなど、青い色がきれいで目を引く。著者はこれをインドの赤と対比して、気候風土の違いが大きいですけれども、近くて異なった文化圏のわかりやすいちがいの見え方として紹介しています。
第9章では、世界史の教科書には名前が出てこないような人々の人物伝があり、おもしろいです。目次から紹介しますと

  • 二つの大国のはざまで――あるクルド人リーダーの苦悩
  • ハレムの御簾のかげから――王位請負人の王女
  • 故郷を離れて――新天地インドに向かった宮廷医師
  • 異教の地で――あるカトリック修道士の苦闘

島国で長期に渡って鎖国していた日本とはまったく異なった変遷を経て現在に至る西アジアの歴史に触れられる、カラフルで読んで楽しい本でした。