英EU離脱報道を見ていて思い出したもの

世界 2015年 12 月号 [雑誌]

世界 2015年 12 月号 [雑誌]

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黒木英充「シリア内線の力学」『世界』no.876
残留派多数だったスコットランドや、首都ロンドンが独立したがっているというところから、やや飛躍するかもしれないが、思い出したシリアに関するこの記事。
内戦状態を引き起こした要因のひとつに都市と農村や遊牧民活動域との間の格差があったそうです。現政権への不満が高まったのは地方の非都市部から。反政府デモは郊外や農村部で起こり、大都市中心部ではほとんど起こらなかった。反体制派民兵アレッポ市内に入った時も、市民の反応は冷ややかで、農村部からやってきた反体制派と都市住民の間には不協和が目立った。
2015年10月段階においても、大都市中枢部を押さえる政権側と、東部の乾燥地域を中心とする「イスラム国」との境界線は、1940年にフランス委任統治政府が遊牧民定住化のために定めた「部族法」において引いた遊牧民領域の境界線とほぼ重なっている状態。
シリア人口の75%近くがスンニ派で、世俗的なバース党は当然多くのスンニ派も含み、シリア政府軍にもスンニ派が多いのでこの内戦状態を宗派対立と見なすことはできないのだが、反体制派側でジハーディストの存在感が増すにつれて、アラウィー派キリスト教徒など少数宗派の人たちは宗派対立の傾向が強まるのに危機感を覚え、そういう少数派を保護しているのはアサド政権側になる。
くわしくは『世界』no.876 (2015.12) をお読みください。
また、過去に読んだ本では
村山雅人『反ユダヤ主義 世紀末ウィーンの政治と文化』講談社メチエ 54 http://d.hatena.ne.jp/nessko/20091020/p1
ポグロムを逃れてウィーンに流れ込んだユダヤ系の難民が、バブル崩壊後のウィーンで市民に敵視されるようになり、反ユダヤ主義が政治的に利用されだす流れ。
『世界の歴史 26 世界大戦と現代文化の開幕』中央公論社 http://d.hatena.ne.jp/nessko/20070123
第一次世界大戦後のヨーロッパで、対等な国民国家が共存し民主主義的な志向の下互いに繁栄していこうという目標をもち、そのための試みや努力が続けられましたが、世界恐慌とともに破綻していった過程。