Blondie - Call me


ちょっとシンディ・シャーマンのアートを意識してるのかな、と思えるヴィデオですね。ヒットしてからのブロンディのやり方は、日本の歌謡曲に近かったような気もするのですが、出自がニューヨーク・パンクだったせいか、たたずまいにパンクの残り香があり、個人的にはそこがよかったのですが、いまひとつメジャーなショウビズ人士に成り切れなかったのはそのせいだったのかもしれません。
マドンナになると、高校生の頃からショウビズで成功したいと野心を抱いていて、演劇やダンスのレッスンをしていたそうで、それまでのロックミュージシャンとは異質なガンバリズムがありましたよね。
マドンナが、グラミー賞で名誉賞(?)みたいなのを昨年末受賞していて、そのときのスピーチでやや違和感を覚えたのは、デヴィッド・ボウイみたいにやろうとしても、自分は女だから叩かれた、不当な扱いを受けた、と涙ながらに語っていたところ。デビュー当時からリアルタイムで見ていたので、マドンナ自身はそう言ってもいいかな、だってほんとうに当時は女だからというので偏見に満ちた記事書かれていたし、と思うのと同時に、白人男のデヴィッド・ボウイと女性のマドンナでは、たとえ同じ趣向でも世間への出方が違ってくるんじゃない、傾奇者としての傾きは同じでもベクトル方向が逆になるとか。社会の中での男女の置かれ方が異なっているんだから。そのあきらかな現実を無視して、性別で差異があるのが自分は嫌だからといって、同じなのに差別されたという噺にしてしまうのは文化史的には歴史修正になりやしませんかね、と、思ったりも致しましてね。
80年代のMTV全盛期に大スターになったのは、マドンナとマイケル・ジャクソンで、女と黒人、じゃあ白人男はどこにいったの? ロックってもともとはアメリカ白人男子の文化だったのに。70年代だったら、カート・コバーンはあんな死に方せずに済んだのかもしれないし、G.G.アリンはうんこ塗れにならないでも済んだのかもしれないし。
そんなことをつらつら思い出して、やっぱりトランプが勝ってよかったんじゃないかって。今、ロケンロールしてるのってトランプ政権だけかもしれないよね。


日本だと、林真理子:マドンナ; 橋本治: デヴィッド・ボウイ; で、同様のことが起きていたのかもしれません。林はべつに橋本に対して、マドンナがボウイに抱いていたような憧れは持ってなかっただろうけれども、80年代以降の女子的語りの入り口を開いたのは橋本治でしょう。そして日本の男インテリが橋本治を適切に評価しないままやり過ごしたのが、その後の惨状につながったのでは。ま、すべてはもう今は昔の物語、ですかね。