井田真木子『フォーカスな人たち』新潮文庫

フォーカスな人たち (新潮文庫)

フォーカスな人たち (新潮文庫)

あのバブルの時代に話題になった5人の人物を、当時花形メディアのひとつだった写真週刊誌『フォーカス』を通して時代背景を浮かび上がらせつつ描き出したルポルタージュ。焦点を当てられた5人は、

若い人にとってはバブルの時代は本で読んで知るしかない昔ですよね。バブルの頃ってどんな風だったか知りたい人にお勧め。もちろん、50以上の人も、今になってあのころを振り返ってみると当時は気がつけなかったものが見えたりします。書いてあることに対して「それは自分にはそういう風には見えないけれども」という形で見えることもあるでしょうが、おもしろい読書体験になると思いますよ。


選挙では自民党に入れるので、つまりもう自分がどこに入れるか決めてしまっているので、そうなると選挙に関わるニュースにもさして興味が持てなくなってくる。これから十月いっぱいテレビや新聞が選挙の話ばかり前面に出てくるんだろうなと想像してげっそりしてしまう。でも、いまから投票先を決める人、選挙戦を眺めるのが好きな人は多いだろうから、テレビはそうなるよね。そして、「希望の党」の登場によって、テレビをはじめ、新聞や週刊誌もはしゃぎだしてるように見える。
民主党」というのは、80年代以降肥大して奇形化していったテレビをはじめとするマスメディアによって作られた政党だったなあと思う。68年に西側先進諸国の意識高い系の若者に芽吹いた感性が、大衆向けマス媒体によって日本全国に浸透を果たしたのが80年代だったということだろうか。そして、民主党政権誕生と崩壊で、その流れもひと段落ついたように見えていた。ところが、「希望の党」の公式宣伝動画*1を見て、うわこれゾンビやん、と。焼け跡から現れたターミネーターと呼んでもいいかな。とにかく、一回死んでるのでもう死なないような感じ、芯に虚無を据えているからこその強靭さ、が画面からひしひしと伝わってきて。絵の作り方は、大衆引き付けるにはこう作ればいいんでしょ、ね? という手つきがスタイリッシュに決まっていて、そこらあたりはIS動画に通じる風情がある。
「私たち、わかってやってるし、あなたたちも、わかったうえでのってくれてるのよね?」
そういわれてるみたいでね。それがわからないやつらはいなかものだから逝ってよし! みたいな。
私にはそう見えたし、だから、「希望の党」には近づきたくないけれども、もちろん人それぞれ見た時の感想は異なるから、あの動画がかっけーから希望の党支持!になる人もいるでしょう。
上のような感想を持った私としては、あの動画見て直感的に「やばい!」とならない人は、自分とは異なるタイプで、そういう人もいるんだなあという分かり方しかできません。
ネット上で、反安倍というだけで「希望の党」に期待するとお書きになっていた文化人を見ましたので、この日記に自分の感想を書いておく次第です。

たらたら極私的感想を書きましたが、自分は特に見識もないので、もう政治のことは書かないでしょう。これまでは、はてなダイアリーを書くこと自体がおもしろかったので、政治についてもニュース見て思ったことがあったらすぐ書いたりしていましたが、今ははずかしいことしてたんだな、と思うだけです。おわり。


追記:2017-10-02
ちょっと上ではぱっと見て興奮気味に感想をメモしてるので、動画の感想を書き直してみます。
希望の党公式動画
地下道を思わせる暗い通路を歩いていく緑色のスーツを着こなした女性の後ろ姿。足元は白いハイヒールで、一歩踏み出すたびに靴音が響く。髪型や全体の立ち姿から、この歩いている女性は小池百合子の像を連想させる。しかし、顔は映し出されない。女性は、日が差し込む出口へと向かっている。
ここでBGMが流れ始め、字幕だけの画面に。「さらば、しがらみ政治」これが、希望の党のキャッチだと受け取れる。これは字幕だけ。読み上げる声はない。
女性の歩む先の通路脇に二人の男性が立っている。観た感じは60代くらいだろうか、一人はタバコをふかしている。この二人が歩いてきた女性に対して悪態をつく。彼らの表情は映し出されるが声は聞こえない。「歯向かうのか」「組織なめんなよ」「変えられると困るんだよ」……女性は彼らを完全に無視して歩調を変えることなく歩み続ける。あっけにとられたような表情で歩み行く彼女の後姿を眺める男二人。
ここで、画面が変わり、暗い中に緑のスーツを着た女性の立ち姿が顔が映らないような照明の当て方の下に見え、「既得権」「隠蔽体質」「組織の圧力」「進まぬ政治」という文言が明朝体で並び、彼女の像の上にその字幕が重なって並ぶが、相変わらず顔ははっきりと映し出されないままその緑のスーツを着た女性の立ち姿が自分の上に重なったそれら文言を打ち砕いて前にせり出してくる。
ここでまた字幕だけの場面に。「ただ耐えるか みんなで変えるか」
日の光が射し込む出口へと進んでいく女性の後ろ姿。彼女の後ろに続いて、先ほど通路脇に立って彼女に悪態をついた男性たちよりは若い世代に見えるスーツを着た男性たちが歩いていく、これも後ろ姿。出口から出るために階段を上る白いハイヒールの足元、その後に続く男性の足元。
ここで、字幕だけの場面に「さらば、しがらみ政治」
明るい白い背景に、老若男女の有権者がこちらに向かってエールを送る様子、動画の流れからは、出口から地上に現れた緑のスーツの女性を歓迎しているように見える。これも声はなく表情だけ。
最後に、字幕で大きく「希望の党」この字は緑色である。

これまでの政党の宣伝動画では、たいてい党首が画面からこちらに向かって話しかけてくる、もしくは党首自体をキャラ化して、観ている人に親しみをもってもらおう、キャラとして好きになってもらおう、という風なものばかりだった。画面から、有権者に手を伸ばして握手を求めてくるような、むこうからこちらがわにタッチしようと試みるようなものばかりだった。
この希望の党の動画は、そういう従来の政党宣伝動画とは趣を異にしている。
動画内の主役である緑色のスーツの女性は、顔がはっきりと映し出されることはない。後ろ姿の雰囲気から小池百合子の像を連想させるが、とにかくはっきりと画面から「私が小池百合子です」とアピールしてくることはない。そして、全編肉声を排して仕上げられている。党首小池百合子の声が聞こえてくることもない。
「さらば、しがらみ政治」というキャッチの下、希望の党が打破しようと目論むのは動画内で示された「既得権」「隠蔽体質」「組織の圧力」「進まぬ政治」といったものになるのだろうが、これも政治の腐敗といったときに一般人が漠然と思い浮かべるイメージを言ってみただけで、政治目標としては大雑把な概念の羅列でしかない。
しかし、動画では、希望に満ちた表情で、彼らを迎える人たちが映し出される。動画を見ている私たちに、はっきりと対面するのは、希望の党に期待をかける彼らの顔だ。それは、希望の党に可能性を見る有権者にとっては、鏡に映った自分を見るような絵になるだろう。
これまでの、向こう側からこちらに受け入れてもらおうと手を出してくるような政党宣伝動画とずいぶんちがって見えたのは、この希望の党の動画は、自分の姿は影に潜めたまま、観るものを自分の側へと吸引しようとするような趣に仕上がっているように見えるせいですね。
まあこれは私の感想です。動画見た感想なんてそれこそ人それぞれですから。
ただ、ひとつ、動画を見て思い出したことがある。
郵政選挙のとき刺客となった小池百合子を応援に来た小泉純一郎が、車の上に立って小池百合子の手をつかんで持ち上げたりして人々に訴えかけているのが郵政選挙報道で映り、選挙カーの近くからこの様子を見ていたその選挙区の住人らしき女性に取材者が「どうですか」とマイクを向けると、彼女は笑顔で小池と小泉を見守りながら「しがらみがない人のほうがいいのよねぇ」と答えていたこと。なぜかあの場面をいまでもはっきり覚えている。
郵政選挙のときは、私は郵政民営化に反対だったので、共産党に入れた。まさか自分が国政選挙で共産党に入れることになるとは想像もしていなかったが、こういうことも起きるのねと思った。小泉時代自民党がおかしくなっていたので、共産党に入れ続けましたよ。
今、民進党がごたごたしていて、これまで民進党に入れていたのに入れるところがなくなった、と思っていらっしゃる方、社民党共産党があります。入れるところがなくなることはありませんから。だいじょうぶですよ。
昼のニュースでは、民進党の枝野代表代行が新党を結成する方針を固めたと言っていました。
やみくもに悲観することはないでしょう。

*1:YouTubeで検索したら見られます。リンクは貼りません。私は自民党支持者ですので