太陽がいっぱい

イオンシネマ宇多津午前十時の映画祭9で鑑賞。
貧しい青年トム・リプリーが、金持ちのフィリップに成りすまそうとする。
トム・リプリーアラン・ドロン)は、フィリップ(モーリス・ロネ)をアメリカに連れ戻すように彼の父親から頼まれ、イタリアでフィリップと共に過ごしていた。フィリップはアメリカには帰りたがらず、しかし婚約者のマルジュ(マリー・ラフォレ)とも関係がぎくしゃくしている。フィリップと喧嘩したマルジュがヨットを降りた後、トムとフィリップは二人きりになってしまうのだが、……
パトリシア・ハイスミスの原作に忠実なのは1999年米映画「リプリー」の方。この「太陽がいっぱい」は、フランスが生んだ稀代のスター、アラン・ドロン出世作ですね。
淀川長治先生は『淀川長治 究極の映画ベスト100』*1で、映画文法的にトムとフィリップはホモセクシャルであると解説なさっていましたが、たしかにああいう若い子がいつも二人でつるんでいるなら時々いちゃついていてもなんらふしぎはありませんけれども、ホモセクシュアルである、とまで決めつけないで見た方がおもしろさが深まる、と私は思いました。トムの方はなによりも金目当て(父親は依頼金を渡しています)なんですが、それだけでは割り切れない関心の強さもあるようですし、何よりフィリップの方が、トムのことが妙に気になって仕方がない、あの感じ、でも、子供の頃だと同年代の子に対してああいうのよくあるなあ、あの延長かな、でもそこに既に成人した二人には金や階級差がリアルに被さってきて、女も絡んで、なんかこじれてくるなあ、というのがあって、今回観て思ったのは、そのあたりの雰囲気はモーリス・ロネの芝居がうまいから伝わってくるんだなあ、と。
でも、観終わった後に残るのはアラン・ドロンの顔だけだったりする。私にとってはそういう映画でした。
マリー・ラフォレもきれいですし、当時アラン・ドロンの婚約者だったというロミー・シュナイダーが冒頭部分にカメオ出演しています。
トムとフリップの関係ですが、二極化完了後というか、階級の固定化があらわになってきた今の日本でのほうが、公開当時よりも身近に感じる人が多いかもしれませんね。