「生産性」

この語をよく使って社会問題について語る人を見るたびに、ソ連を思い出してしまうのだが、もう若い人は、ソ連て何ですか? が大勢なんだろうな。
はてなブックマークで上のほうに来てた杉田水脈の発言を報じた新聞記事だが、杉田が新潮45に寄稿した記事から一部抜き出して見出しに仕立てたものだそうで、杉田の意見がどうこういう以前に、ああいう杉田発言を見出しにして拡散するということに対して、それいいんだろうか、と思った。
問題提起、杉田言行警戒、告発ノリで記事が出されているせいで、ああいう見出しをつけて人目を引こうとするやり方自体をどう見るか、という見方がされないようだ。
マスコミはずっとそうやってるし、それは普段われわれが日常生活の中でやっている(いやな)ことの延長でしかないでしょ、あんただって読んでるくせに、と、言われればそれまでだが、現在SNSでまき散らさせるフェイクニュースがぁ、とか言われている問題は、だれでもがそういうマスコミのやり口を模倣して発信するようになってしまったことから生じているのだから、調査報道をきちんとやる、というのとは別に、報道とかいって世間にばーっと流すこと自体がどうなの、という話も出てきておかしくない。マスコミの性として、自分の発信で世間を動かしたい、というのは抜きがたくある。そして性であるからそこには善悪を超えたどうしようもなさがあるわけで、そのへんがもやもやしだしたら、図書館にひきこもるとかしたほうがいいのかもしれない。発信したりつながったりするばかりが能ではないから。