『世界』12月号(no.915)に、斎藤貴男「体験的『新潮45』論」

世界 2018年 12 月号 [雑誌]

世界 2018年 12 月号 [雑誌]

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新潮45』の、杉田水脈論文に端を発した休刊への顛末。ジャーナリスト斎藤貴男にとっては、かつて充実した仕事をさせてもらったこともある雑誌でもあったのだが、そのころとはあきらかに変調した誌面となり売り上げも下がってしまっていた。『新潮45』だけではない。『諸君!』『正論』など、保守系オピニオン誌と目される雑誌もかつては鷹揚で、天皇の悪口さえ書かなければ何を書いてもOKみたいなところもあり、広告が少ないためスポンサーへの気兼ねも不必要で、とことん取材してルポルタージュを書かせてくれ、ノンフィクションの書き手を育ててきた雑誌だった。斎藤は、かつて自分が『新潮45』『諸君!』『現代』など既に休刊となった雑誌でどのような仕事をしてきたか、そして、それらの媒体がいつごろから変容したか、その変容が出版界全体に及んできているのはなぜなのかを体験談と共に語ってくれています。レイ・ブラッドベリの「華氏451度」を呼び水として。
斎藤貴男の記憶では、たとえば『諸君!』の雰囲気が変わったのは小泉純一郎政権が誕生した頃からだとか。くわしくは『世界』で読んでみてください。
雑誌は、とくに私のような者にとっては、知的好奇心を保ち続けさせてくれるうれしい媒体でした。そして私だけではない、そういう人はけっこういるんだ! というのは、雑誌を読んでいると分かりました。そして同時に、雑誌など読みもしない人は常に全体からすると多数派であることも日々実感させられます(ネットでは、そういう、雑誌最初から要らない種族の雑誌いらねー発言が流れまくる傾向が強いですね orz)。それでも、雑誌のおかげでつながっていった文化はありますし、それは雑誌を読んだりしない人にも思わぬ形で届いているものなのです。そして、ウェブにはない紙媒体の力というのも、あります!
安田純平の事件から、ジャーナリストってなんだ? みたいな話題がネット上で流れたりしてますが、この斎藤貴男の記事も書き手と媒体を含めたジャーナリズムについて見直すきっかけになりますよ。ぜひご一読を!