橋本治死去 その2

橋本治の死去について多くの人がネット上でコメントしている。訃報に接してまさかとか早すぎるとか愛読者としてつぶやいている方も多いのだけれども、私はおどろきはなかった。橋本治が六十代になって難病を患い、また昨年はガンの手術を受けたりした闘病記を読んでいたせいもあるけれども、それよりも前から、彼は意識的に生きていることを肯定しようとするような言辞をこぼすことが目立ちだしていた。手元に載っていた本や雑誌はないので私のうろんな記憶だけになるけれども、生きよう、この世界にはまだまだうつくしいものがある、とか、三島由紀夫の生原稿、そこに万年筆でていねいに書かれた旧仮名遣いの文章を見て、三島由紀夫は死に方がああだったせいでそう思われないことが多いが、最期まで生きようと努力していたのだ、そしてそれより尊いものはないのだ、とか、そういう趣旨のことを、あの橋本治の文章で明晰につづっていた。それを読むと、橋本治の文章を読んだときにしか触れられないうつくしさを感じ、同時に、橋本治にあえて気力を奮い立たせるほど生きるのがいやになる世の実相の側に自分は棲息しているのだなと思わされる。だから、文章を読むことの悦びは得られても、自分が生きるための勇気をもらえたとはならない。ふと、淀川長治が「ゴダールは嫌いだけど、彼の撮る空だけは好き ゴダールの撮る空だけは美しい」と言っていたことを思い出す。私は、ゴダールは好きなのだが、橋本治のいい読者には成れない/成る資格がない者なのだろう。

三島由紀夫はものごころついたころには死んでおり、読みだしたのは死んだあとだったから、余計なことは考えないまま、読んだ本がおもしろく読書が楽しかったので、ファン気分で「私は三島由紀夫好き♪」と平気で言える。たしかに三島由紀夫橋本治は似たところがあるな、とは思うのだが、私は橋本治の小説は苦手、評論や戯曲にくらべると評価が分かれるしそうなるのがすごくよく分かる三島由紀夫の小説は大好きだ。そして、橋本治が『「三島由紀夫」とはなにものだったのか』を書いてくれたことは、三島由紀夫ファンとしてたいへんうれしかった。三島由紀夫はその点で幸運だった、橋本治がいたのだから。

さて、橋本治について、橋本治三島由紀夫について書いたように“「橋本治」とはなにものだったのか”というような本を書いてくれる男はいるのだろうか? そういう男はいるんだろう、でも、たぶんその男の子はまだ学生で、『「三島由紀夫」とはなにものだったのか』や現在大ヒット中の映画「ボヘミアン・ラプソディ」が三島やフレディが死んで三十年ほどは経過してから世に出ているのを見ると、橋本治についてのそういう本がでるころはもう私はここにはいないだろう。

 

 

「三島由紀夫」とはなにものだったのか (新潮文庫)

「三島由紀夫」とはなにものだったのか (新潮文庫)