犯人が死んだせいもあってか

川崎の事件報道はすでにかなり落ち着いてきていますね。テレビのニュースでも、顔写真は中学生の時のものしか出ておらず、それは犯人の一面をよく表しているのかもしれない。昨日は何で表に出てきたのか、などと書いてしまったけど、ふと思いついて出ることもあるよな、はっきりと理由を言語化できないから行動で埋めることもあるよなと今は思っています。

犯人の部屋から大量殺人を取り上げた雑誌が二冊見つかったとニュースで伝えられていて、たった二冊? と思ってしまう私は、ばーっと大きくニュースが出てネット上でみんなが大騒ぎしているときは、こういう事件は過去の例からするとあれとかあれに似ているな……と考えたりして、世間一般の熱狂から外れたところで一見大勢より冷静に事件を見ているようでありながら、世間の熱が冷めてほとんどの人が事件のことを忘れても、細く長く事件の記憶を引きずって時々うじうじ考えたりするんですね。だから、熱しやすく冷めやすいというの、それは健康の証かもしれないというのがあります。

この事件ですが、村上龍の『オールド・テロリスト』をちょっと思い出したりしました。なんか思いがけず人がテロに走るところが(物語中ではなぜそうなるのかがあって、あまり似てもいないのですが)。