関電のニュースを見ていてふと思い出した本。
題名通りの内容で、1960年あたりから1990年あたりまでの、喜劇人をめぐる様相を描いたもの。小林信彦の実体験の記録でもある。東京の植木等にくらべると、大阪の藤山寛美は東京人小林信彦にとっては異文化圏の役者になるようだが、当時目利きの小林御大にとっては知らないままではいられない存在だった模様だ。舞台を目の当りにした小林は寛美を「麻薬のようなものがある」と評している。
第3章「「阿呆まつり」のころ」で、1972年、舞台演出もしていた藤山寛美の楽屋をたずねたときのことが出てくる。寛美の演出を見た佐藤信の批評も短くあるのだが、とにかくその寛美訪問を終えて帰京した小林は、こう記している。
翌日、帰京した。
家に帰り、寛美から貰ったオコシをあけると、のし袋が入っていた。いやな予感がした。袋には三万円が入っていた。
若いうちから芸術祭の審査員などをやったために、アーティストから<粗品>が贈られてくるのは経験していたが、金をもらったことはなかった。
ぼくの楽屋訪問は突然だったから、急に用意したものではない。たぶん、大阪のジャーナリストのために、こうした用意がされているのだろう。
送りかえせば非礼になるだろうし、むずかしいところだった。疲れるな、と思った。ローカリズムのこわさを強く感じた。
関電とは直接関係ない、こちらは芸能界の風習みたいなことだろうけれども、東京人小林信彦にとって関西は勝手の違う異郷だったんだろうな、という感想を持った。
小林信彦『おかしな男 渥美清』には、劇団とともにバスに乗って公演にやってきた藤山寛美を見に行った渥美清が「日本一の役者だねぇ」という場面があった。そして小林は、時代の終焉を見届けて寛美は逝ったと書いていた。