筒井康隆「乗越駅の刑罰」

『世界』で真っ暗な結末を迎えた桐野夏生「日没」を読んで、筒井康隆「乗越駅の刑罰」を思い出した。桐野「日没」は読者からネット上で密告されポリコレ棒で叩かれまくるという今ありがちな出来事とリンクしていて、現代の情勢を色濃く感じさせる物語でしたが、監禁され自分の信じていた作家としての価値を否定され続ける中で、主人公は小説家である自分は何者なのかという内省に沈みます。このあたりが筒井康隆「乗越駅の刑罰」につながってきた。「乗越駅の刑罰」、読んだのはずいぶん前で、その作品が収められていた短編集の文庫本はもう手元にないし、本の題名すら覚えていませんが、小説自体の記憶は細部まで生々しくよみがえって来ます。

私のような、小説を読む者、というのは、小説家と読まない人との中間に位置しているのでしょう。そのせいか、刑罰を科せられる作家と刑罰を科す者と、その双方に共感が引き裂かれるような居心地の悪さを感じ、そしてやはり刑罰に恐怖しました。

筒井康隆は全集も出ているので、興味のある方は図書館で探してでも読んでみてくださいね。