小野不由美『残穢』新潮文庫

 

残穢(ざんえ) (新潮文庫)

残穢(ざんえ) (新潮文庫)

 

 

GYAO!の無料配信で映画「残穢」を観たらおもしろかったので原作を読んでみました。小野不由美山本周五郎賞受賞作です。


 作家である「私」はかつてライトノベルのあとがきで読者に怖い話を知っていたら教えてほしいと呼びかけていた。そのため、今でも読者から「私」のもとに「ほんとうにあった怖い話」が寄せられてくる。その中に、現在はライターをしている「久保さん」から寄せられた、今住んでいるマンションの部屋で妙な現象がある、という話があり、「私」はかつて同じマンションの住人から同様の話が寄せられたことに気づく。同じマンション、しかし、異なる部屋。よくある事故物件にまつわる怪異なら、同じ部屋で怪奇現象が続くのがパターンとなっているが、これはそうではない。では、そのマンション自体、もしくはマンションが建てられた土地そのものに原因があるのか? 「私」は久保さんと、夫も含めた作家仲間の協力を得て、怪異の根源を探り始めた。……


 ホラーですが、作家である「私」が「ほんとうにあった怖い話」の裏取り調査をしていく過程がドキュメンタリータッチで描かれています。英国ドラマが得意とするモキュメンタリーとでもいうのかな。そして、謎の原因を探っていくのですからミステリー仕立てになっていますね。


 不動産屋やずっとその地域に住んでいる人たちから話を聞き取っていく様子は、ライターが取材するときの雰囲気が伝わってきますし、実話怪談に造詣が深い作家仲間からの怪談実話取り扱い上の注意点のレクチャーは、うっかり「ほん怖」に触れてしまいがちな一般読者にも参考になりそうです。


 主人公は、読者に楽しんでもらえるよう怖い話を書くのを生業としている作家ですから、人はどんな話を怖いと感じるのか、何故怖い話を読みたがるのかという側面を常に分析的に考えています。また、いわゆる広く受け入れられる怪談のパターンと、実際に怪現象を取材して得られる現実のちがいも見ています。それで、久保さんも含めて実話怪談に興味を持つ作家仲間たちは、いきなり心霊現象だ、お祓いを! みたいにはならないのですね。一般に心霊現象と言われるものの実態は何なのだろうかと考えるのが習い性になっている。まったくそういうものを信じないという人たちとは異なるタイプですが、心霊現象に懐疑的な人たちでもあるわけです。そのため、この小説は、実話怪談を読んだりするのが好きだけれども、幽霊とかすぐ信じるのかといえばそれもできないような、おそらく一般に多いであろう「ほん怖」読者の気持ちが言語化されていくようなおはなしになっていました。


 また、これは日本の裏近現代史でもあります。バブル期、高度成長期、終戦直後、戦前、大正明治へと、調査は時をさかのぼって進んでいきます。そして過去にあったリアルほんとうにあった怖い話が事実として出てくるのですが、そこから残穢が発生している。たいへんな時代をけんめいに生き抜いてくれたご先祖様のおかげでわたしたちは今ここにいて小説を読んだりしていられるのですが、時代の流れの中で犠牲になった人々の無念や痛みも堆積した上にその今がある。それを忘れてはいけないし、かといっていつも意識していることもできないので、地鎮祭のような昔からの風習や、なにかあったら神社やお寺に参って気分を一新したり、お祓いをしてもらったりするというの、唯物論者から見れば意味のない行為になるんだろうけど、そこでちょっと日常にはない気持ちにギアチェンジして過去とつながるのもけっこうだいじなことなんじゃないかな、と。


 この本の主人公の「私」は九州育ちで京都在住ということですが、農村部にはなじみが薄いようで、田畑が広がっている光景は「何もない」ように見えるらしいのですが、農村にも代々人が住んでいるので過去もあり因縁もありますし、それを言い出したらアメリカ大陸もヨーロッパ人には新大陸だったかもしれませんが先住民がいましたので、アメリカには先住民由来の怪談があり、もっというと、人跡未踏だった地域に人が入っていくと、人がいないことで安定していたその地域はかき乱されて、そのせいで生きづらくなったものの負荷が新型ウィルスのような形で人にはねかえってきます。
 作品中でも、残絵の作用をウィルスにたとえる一節がありました。意外とコロナ禍にマッチした小説かもしれませんね。

 

 一読すると映像化向きではない印象ですが、非常にうまく脚色して映画にしていたと思いました。