村上春樹訳のカーソン・マッカラーズ『心は孤独な狩人』新潮社

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上の記事は四国新聞にも載っていました。

それを読んでの感想を書いておきます。

村上春樹がこのタイミングであがったというか、ステージを移動したというか、そういう印象があって、安倍政権が終了したのが戦後民主主義大衆文化の終了だったのだなという(ユーミンも涙したそうだし)という感を強く持った。

そしてスタートした菅政権だが、村上春樹が正面から当たるのを避けたのは賢明なことなのだろう。なんというか、ガチで勝てるわけはないから。それで、居場所を見つけてそこで自分のできることを続けていこうということだろう。

 

(菅さんは、おそらく、「ないことにされていたもの・ないがしろにされてきたもの」のリベンジの化身である。そして、戦後ポップ文化(特に軽チャーとか言い出した後の)は、復讐される側になるのだ、だから避難するなら今のうちにしといたほうがいい)

 

カーソン・マッカラーズ『心は孤独な狩人』は、映画「愛すれど心さびしく」の原作である。「愛すれど心さびしく」は、子どもだったころ洋画雑誌「スクリーン」か「ロードショー」かのテレビの洋画劇場作品紹介で、スチール写真を見て、シンガー役のアラン・アーキンがちょっと薄気味悪い雰囲気でどの場面でも写っているのを見て「?」と思い、テレビ放映を見ても、たしかにちょっとビミョーなずれのある人物なのだがソンドラ・ロック演じた少女からすれば「いい人」なのではあるまいか、と思って、やっぱりあの写真の違和感がずっと記憶に残っていたのだが、わりと近年に町山智浩『トラウマ映画館』(集英社)を読み、そこで原作の内容を知り、アラン・アーキンの役者としての凄さを再認識したのです。原作は未読ですが、村上春樹の新訳が出るのなら読んでみたいですね……というより、正直言うと、もう一度映画「愛すれど心さびしく」が観たいなあ。

昔はテレビの洋画劇場が充実していたんですよね。田舎の子にとっては文化への入り口でした。淀川長治先生をなつかしく思い出します。