『世界』2021年8月号 倉沢愛子「それは日本軍の人体実験だったのか? インドネシア破傷風ワクチン"謀略"事件の謎」

 


1944年8月6日、日本軍占領下のインドネシアの首都ジャカルタ、グレンデル収容所で破傷風の集団発生が起き、収容されていた「ロームシャ」107名が発症、98名が死亡する。
 事件を調査した南方軍防疫給水部隊は、当時のインドネシア医学界の重鎮モホタル教授が日本軍のロームシャ徴発をやめさせるために細菌謀略を実施したとし、モホタル教授は死刑に処せられた。
 戦後、これは冤罪ではないかとの声が上がり、スハルト大統領はモホタル教授に勲三等を授与して彼の名誉を回復させたが、事件の真相は究明されないままになっている。
 七三一部隊の東南アジア版ともいえる南方軍防疫給水部は何を行っていたのか、なぜ収容所で破傷風集団発生が起きたのか。筆者は調査を進め、刊行を計画しているとのことです。くわしくは『世界』を読んでみてください。
 
 記事には、関連するものとして帝銀事件も出てきます。帝銀事件の犯人は「厚生省厚生部員 医学博士 松井蔚(しげる)」という名刺を使ったが、この松井は実在の人物で、バンドゥンの陸軍防疫研究所で医務部長を務めた医師だった。帝銀事件を捜査した刑事は松井について調べた際、松井がスマトラで注射により「土人」二百数十名を注射で死に至らしめたことがあると知る。松井によれば、過失によるものだった、と。
 帝銀事件は、松井蔚と青函連絡船で知り合い名刺をもらったという画家の平沢貞通が犯人として逮捕され、死刑判決を受けるが、刑は執行されないまま獄死した。
 
 平沢貞通の弁護をつとめた遠藤誠弁護士のインタビュー「死刑廃止への長い旅」が『特集アスペクト38 実録戦後殺人事件帳』で読めます。23人もの死刑を執行した田中伊三次法務大臣も「これは死刑にできない」とパスした平沢貞通。帝銀事件も冤罪説が根強く、真相はまだ闇の中です。

 

www.kosho.or.jp


 
 
 『特集アスペクト38 実録戦後殺人事件帳』は、パッケージから90年代鬼畜ものと見なされるかもしれませんが、これは充実の一品です。犯罪実話マニアだけではなく、雑誌を読むのが好きな人であればお勧めできます。