『週刊文春』9月23日号に、小山田圭吾インタビューが

 

中原一歩「小山田圭吾 懺悔告白120分 「障がい者イジメ、開会式、すべて話します」」
 ネット炎上の影響、問題とされた過去の雑誌の記事について、開会式直前の制作チームの混乱ぶり、現在の心境など、みんなが知りたかったことを当人から聞き出して整理してくれています。『週刊文春』9月23日号で読んでみてください。
 
 また、小山田圭吾本人からのお詫びと経緯説明も出されました。

 

 (書いてくれてありがとう、読めてうれしいです。ネット炎上に巻き込まれた負い目があるせいか、読んでいて涙目になりました。ほんとうにごめんなさい。もう二度とネット炎上には巻き込まれないようにします)
 
 QJからも、問題とされた当時の記事についての説明が出ました。

www.ohtabooks.com


 ロキノンQJも、当時自分から本屋に雑誌を買いに行って読む人を読者層として想定して作られた雑誌で、一部の人たちにとってはそういう雑誌自体がアジールのような役割を果たしていました。雑誌と読者の間ではアジールを形成するために共有されていた何かがあって、その上で成り立っていたものなのです。
 そういうものと縁のなかった人にはとっつきづらい面もあるでしょうが、たとえばアフガニスタン情勢についての記事を読むためには、そこに書かれた背景説明も読んで伝えられる事情を把握しようとしないといけませんよね。それと同じことです。説明を読んで、当時の雑誌について想像力をはたらかせて状況を立体的に思い浮かべてみてください。
 
 このネット炎上で思い出されたのは、イラク三人人質事件の際の2ちゃんねるでの大炎上です。その頃既にブログサーヴィスはありましたが、まだツイッターのようなSNSは普及していませんでした。ただネットユーザーの数は増えていて、2ちゃんねるを訪れる人も増えていたのでしょう。そのときの炎上は、2ちゃんねるというアングラな場からの影響が現実社会へと染み出してきた例として週刊誌などで取り上げられました。2chでの出来事が2chだけで完結しなかった例となったのです。
 そして今回の令和東京オリンピック前夜の大炎上では、もとはアングラだった2ちゃんネタがツイッターでつぶやかれ、それが反オリ勢の正義感というガソリンに火を点けてしまい大爆発といった様相になってしまいました。2chのコピペが英訳されて世界中に拡散され、ショッキングアジアネタが大好物の欧米メディアがすぐに食いついてくるという地獄絵図がネット上に展開されましたね。
 ネットユーザーとしては、ネット空間に対して意識的に距離を取る必要性をあらためて思い知らされました。
 インターネットがインフラのひとつとなってしまった以上、これからも同様のことが起きかねません。そこでメディア環境の変遷を研究しているような方にこのネット炎上について検証・分析してもらって、今回のような炎上被害が出なくて済むように備えていただきたいのです。今回の炎上には最近社会問題視されるようになったキャンセルカルチャーの要素もあったと思います。
 (キャンセルカルチャーの総本家にして最先端は中国なのですが、既に「現代の訟師」とでもいうようなバズらせ職人が存在しているとか。このキャンセルカルチャー、支配する側が人民をコントロールするためにも使える手法になり得る点はもっと注意されていい)
 
 オリパラも終了し、祭りの狂騒もおさまって、「小山田圭吾問題」については、小山田圭吾QJからは総括が出されました。
 あのネット炎上に巻き込まれた文化人にも総括してもらいたいし、まちがいは正して、ネット炎上の被害者となった小山田圭吾の名誉を回復させなければなりません。
 
 
 
 
 
 誰だって子供の頃は、大人になってから思い出すとはずかしいことはしてますよ。たとえ信用できそうな相手であっても照れ笑いでごまかしながらでないと言えないようなことをね。
 そして生きづらい中、雑誌や音楽みたいなアジールに身を寄せて過ごしている人も大勢いる。コーネリアスQJに助けられたいじめられっ子や元いじめられっ子もいる筈です。私もその一人になりますね。
 ミュージシャンになって音楽を届けるという過去の過ちへの償い方だってあるんじゃないでしょうか。
 コーネリアス、CDはFANTASMAしか持ってなかったのですが、この騒動で思い入れが強まってしまって、他のCDも買いました。CDでちゃんと聴くとよさがよくわかってますますコーネリアスのファンになりました。
 (今回の騒動でコーネリアスやMETAFIVEのことを知ってファンになった、という声はネット上でも散見しましたので、ま、わるいことばかりでもなかったのかもしれない……)
 
 コーネリアスのファンとして、小山田圭吾に対しては「生まれてきてくれてありがとう。ミュージシャンになってくれてありがとう」という気持ちしかありません。