花田達郎「関西生コン弾圧と産業労働運動、そしてジャーナリスト・ユニオン(中)」
10月号(上)では、世界的には標準形態である産業労働組合が果たす役割がどんなものであるかをドイツを例に解説し、この形態の労働者運動が成り立ちにくい日本の会社文化と、その中で産業労働組合の原理に沿って運動を展開し成果を上げてきた関西生コンが異常な弾圧を受けていることを伝えていました。
11月号(中)では、なぜこの時期に不当な弾圧が続き、有力な労働法学者らが声明を出してもマスコミがまともに取り上げることがない状況が続いているのかを分析しています。非正規労働者たちが労働組合を作って立ち上がるのを阻止したいからではないかと。
(東京から見ると、西日本、とくに昔都があった関西は社会の織り目が複雑巧緻なせいでいろいろ妄想をかきたてられるらしくて、実話誌などでおもしろおかしくデフォルメされたり、ネット上ではそういう噺をもとにネット伝説みたいなのがつくられて流布されたりしがちですが、ちゃんと取材して冷静に状況を腑分けして伝えている本も出ておりますので、まともに知りたい人はそういうのを読んでみてくださいね)
上村隆「金学順さんが伝えたかったこと 最初に報じた記者からの報告」
1991年、朝日新聞で元慰安婦の聞き取り調査を始めたというスクープを書いた上村記者は、23年後その記事がもとで大バッシングを受けることになった。その経緯をつづっている。
ネットでの大バッシングで家族にまで被害が及び、ネット上で誹謗中傷を受けたご息女はツイッターに名前や写真を載せた男性を提訴した。
ネットが普及してからのバッシングの例として読めます。
神保太郎「メディア批評 第167回」
以前からネットの普及とネット独特の危うさについても触れて来たメディア批評。今回は木村花自殺を受けて侮辱罪の厳罰化が言われ出した経緯を、拙速すぎると批判している。じっさい、ネットでの誹謗中傷がもとで云々が口実とされてネットの管理化が進んでいくように見える。
ネットを見るとき、自分はどのような状態だろうか。新聞やテレビを見るとき、本を読むとき、他の人と話すとき、と、なにかちがった特有のモードに切り替わってはいないだろうか。その中で受け止めたことを自分の中で咀嚼してその後どう外に出しているだろうか。どのような影響をネットから受けているだろうか。
ネットユーザーはいまそれを見直す時なのかもしれない。
くわしくは『世界』を読んでみてください。