筆者は中東欧・ロシアを中心にヨーロッパの歴史・記憶政策を批判的に観察してきたが、ここ数年、ホロコーストや植民地ジェノサイドの歴史と記憶を扱う研究分野では、ドイツの記憶文化への批判が顕著となった。これを踏まえて本稿がめざすのは、「外部」からの観察と批判というプリズムを介して現代ドイツの一断面を提示することである。
(引用元:『世界』2024年6月号 p.202)
「歴史家論争1.0」は、1986年、スターリニズム犯罪を持ち出して免罪を狙う右派によるホロコースト相対化論に対抗して、左派がホロコーストの比較不可能性を主張し勝利、「過去の克服」や記憶文化の形成に大きく寄与した。
その後、ポスト冷戦時代に、植民地ジェノサイドをはじめ他事例との接続と比較によって、ホロコーストの語り口は大きく変化する(バシール・バシール、アモス・ゴールドバーグ編『ホロコーストとナクバ――歴史とトラウマについての新たな話法』水声社、など)。
2020年頃から起こった「歴史家論争2.0」では、かつて相対化論を掲げた右派が比較不可能性と唯一無二性に固執するようになり、時代の変化に取り残された左派は、右派と同盟する結果となった。
また、IHRA(国際ホロコースト想起同盟)は、2016年のブカレスト総会で「反ユダヤ主義作業定義」なる文書を採択したが、そこで「反ユダヤ主義」の定義を具体化する指針として掲げられた11項目の例示中7項目がイスラエルを扱い、解釈次第でイスラエル政府への批判の多くを反ユダヤ主義扱いできることとなった。この定義は、各国の行政で疑似法規的に扱われている。
そして2019年のドイツ連邦議会によるBDS非難決議は、BDS運動をかつてのナチのスローガン「ユダヤ人からは買うな!」と重ね合わせて糾弾(記憶の濫用といえる)、結果としてBDSに賛同する文化人や移民の排斥につながっていく。
ホロコースト言説の再審が迫られている。
くわしくは『世界』2024年6月号で読んでみてください。
以下は、読んだ後の私の感想になりますが(とっちらかるぞ)
ポグロムを起こしたロシア(旧ソ連圏)や、イスラエルの最大支援国アメリカではなく、ホロコーストやイスラエル支援でドイツばかりが叩かれるのは敗戦国だからなのかあって(日本人としては、ドイツは不器用だから損してるように見えてしまってたりする)。
第二次世界大戦で、人類は二度と起こしてはならないこととして「ホロコースト」と「原爆投下」を二大禁忌としてきた筈なのですが、ホロコースト言説の揺らぎと連動するように核兵器使用についての見方も揺らいできているのかもしれない。
小林信彦『物情騒然。』(文春文庫)を読むと、2001年は夏に映画「パールハーバー」が公開され、その後9.11が起きているのですが、今年は春に「オッペンハイマー」が公開されているんですよね……
また、今、アメリカの大学で、ガザ攻撃をめぐってイスラエルへの抗議、パレスチナとの連帯を示す学生デモが盛り上がっているのがニュースになっていますが、私には、2月にワシントンD.C.のイスラエル大使館前で起きた若い白人男性米兵の焼身自殺の方が心に刺さっています。イスラエルとは直接関係ない理由での白人男性焼身自殺もニューヨークでありましたね。どちらも、危うい人がいたという話になるのでしょうが、危うい人は予兆に過敏に感応したりするので。