『世界』2025年9月号 宮原ジェフリー「「声なき声」の参政党支持 分断と対話のゆくえ」

 

 彼らの躍進は、既存の政治やメディアに対する国民の根深い不信、そして「声なき声」が新たな表現の場を求めていたことの表われだと私は考える。本稿では、私自身の取材に基づき、参政党の街頭演説や支持者の様子、そしてそれに対峙する「カウンター」の人々の振る舞いを具体的に描写する。その上で、双方の間に生じつつある「悪魔化」の構図を批判的に検討し、森達也監督の映画『FAKE』が問いかける「真実」の曖昧さと、分断を越えた対話の可能性について論じたい。

(引用元:『世界』2025年9月号 p.61)

 くわしくは、『世界』9月号で読んでみてください。

 和歌山県に応援演説に来た神谷宗弊、それに対する集まった人たちの反応。その場の様子が目に浮かんでくるようにレポートされています。グローバリズム批判を和歌山県の人たちが身近に感じているだろう不安と結びつけて説き、しばしば参政党への批判となる少子化対策や外国人問題についての主張も、じっさいの街頭演説では人権に考慮しつつ直すべきところは直そう、といった形で、市民が抵抗感を持たずに済む言い方でなされていたそうです。そのせいか、「カウンター」として現れた人たちの抗議のほうが過激に見えたりしていたらしい。

 政治や社会問題について関心はあり、自分の考えを持ち自分の意見を言いたい、そういう人たちの中に、インテリリベラルがリーチできない層があるんですね。そこはインテリリベラルが自分たちの限界だと認めるしかないし、たぶん参政党はその層にことばを届けることができているんですよ。

 このあたりは、学歴とかあまり関係なく、へんなたとえになりますが、たとえばハードロックは好きだけどファンクは苦手みたいな、もうテイストの好き嫌いみたいなところで届かないのではというのがありそうなのでね、まずはインテリリベラルは自分たちと波長が合う人たちを大事にしていくしかないのでは。

 

 また、インテリリベラルにできることは政治運動だけではない、本を書いたりできるじゃないですか。

NHKラジオ「まいにちフランス語 7月号」では、応用編で18世紀に書かれた文章を読むというのがあって、ジャン・メリエ『遺言書』:「ソロモンさながらに」が取り上げられていましたが、ジャン・メリエについての解説を引用しておくと

ジャン・メリエ Jean Meslier は、ルイ14世がみずから王国の統治を開始してまもなく、17世紀後半に生まれ、地方の小さな村のカトリックの司祭として長く暮らし、表むきは静かな一生を送った人でした。しかし、死後に発見された長大な手記には、時代への深い絶望と虐げられる民衆への共感が強く反映され、無神論的かつ社会転覆的な思想をも含むものでした。『遺言書』Le Testament とヴォルテールによって命名されたこの作品には、その後にヨーロッパ各地で秘密裏に読まれ、フランス革命期とその後の時代にまで大きな影響力を持ちました。

(引用元:NHKテキストラジオ「まいにちフランス語 2025年7月号」 p.121)

 

 

 

すぐに発表しなくても、日記のような形で目にすること思ったことを書いておくと、後に役に立つかもしれませんよね。学のある方にはぜひやっておいてもらいたい。

 2025年度前期の「まいにちフランス語」応用編は、2024年度後期の再放送ですが、フランスの古典を通して「ことばの技術」を学ぶという趣向で、8月、9月と続いています。18世紀に書かれた文章からいまにも通じるものを発見でき、いろいろ考えさせられ、ものの見方が開かれていきます。ぜひ、「まいにちフランス語」を聴いてみてください。

 

ノルベルト・フライ/ヨハネ・シュミッツ『ヒトラー独裁下のジャーナリストたち』(朝日選書560)も、お勧めかな。だいぶ前に読んだのですけれどね。

nessko.hatenadiary.jp

 図書館の本なので今手元になくて見返せないですが、ヒトラー独裁下ではとにかく文化について書くジャーナリストとして本分を果たした例が出ていました。そういうのもありでしょう。