『世界』2025年5月号 山内明美「戦後解体 連載第2回 コメと原子力 <東北>と戦後80年」

 

西から見ると、東北は異国の地でした。西に都が置かれ、日本人の主食はコメという認識が広がり、しかし寒冷地の東北は稲作には適さず、「白米を食べられないのは貧困」という世情に苦しみます。いまでは日本のおいしいお米というと、あきたこまちなど東北産のブランド米の名前がすぐあがりますが、それは寒冷地品種ができてからのこと。品種改良の努力は、そのまま東北の強さの証でもある。
 しかし、戊辰戦争で朝敵となったせいか、近代以後の政策では<東北>には工業地帯がひとつも置かれなかった。そして戦後、東京に電力を供給するために原発が作られる。3.11で原発事故が起き<東北>はまた痛手を被った。著者は3.11による原発事故を「もうひとつの敗戦」と位置づける。平和を希求し原子力の平和利用を目指した戦後日本の敗戦だと。

 昭和恐慌と東北大凶作という言葉は、わたしのなかでは戦争と結びつく一対の言葉なのだが、災厄とともに<東北>が浮上する時代は、この国にとっての歴史的鬼門なのかもしれないとも思う。災厄を帯びた<東北>の膨張を、どんな手立てで鎮めれば、戦争を去なすことができるのだろうなどと考えてしまう。まつろわぬものの呪い、と言ったら失笑されるだろうか。わたしのなかでは、歴史のなかでずっと続いている抑圧の連鎖だという思いがある。そんなことを想いながら、<東北>と戦後80年について時代をさかのぼりながら考えてみたいと思う。
 確かに今、わたしたちは新たな戦前を生きている。
(引用元:『世界』2025年5月号 p.159)

くわしくは『世界』5月号で読んでみてください。

 

いま<東北>というと、能登の復興をまず思う人も多いですよね。

万博には能登も参加しています。

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能登の着物、万博オブジェに 被災で行き場なくした500着 北陸ゆかりのアーティスト制作
4/25(金) 5:01配信

  ●日本きもの文化振興会提供、5月26日展

 能登の着物がオブジェとなり、5月26日に大阪・関西万博で展示される。能登半島地震や奥能登豪雨によって行き場をなくした着物を引き受ける「日本きもの文化振興会」(金沢市)が約500着を提供し、北陸ゆかりのアーティストが巨大オブジェに仕上げる。世界の人が集う万博で、震災の犠牲者に向けた鎮魂の祈りと、未来への希望を表現する。

 オブジェは2体を用意し、1体は白と黒を基調とし、もう1体を色鮮やかな着物で作る。いずれも高さ3メートル、幅1・8メートルの大作で、能登から寄せられた着物約500着をつなぎ合わせ、巨大な着物型のオブジェに仕上げる。手縫いの作業が香川県観音寺市で進められている。

 能登の被災地では、自宅を解体し、仮設住宅に住まいを移した人も多いが、狭い仮設住宅では保管しきれない着物や家財が処分されている。2020年ごろから不要の着物を引き取る「もったいないキャンペーン」を実施してきた振興会には地震後、持ち込まれる着物が急増し、これまでに約5500枚が集まった。

 中にはしつけ糸が付いたまま、1度も袖に手を通されることのなかった着物もあったという。一部はチャリティーイベントで販売し、収益は義援金として石川県に寄付した。

 こうした活動を知った芸術家の表博耀(ひろあき)氏が、振興会にオブジェ制作の話を持ち掛けた。大阪を中心に世界で活躍する表氏は、父親が小矢部出身で、「復興のお手伝いができればうれしい」とコメントした。

  ●石川でも披露方針

 万博での展示は1日限りで、ホール「シャインハット」が会場となる。展示後は石川県内で披露する方針で、篠原勉理事長は「全世界の人が来る万博で、能登のことを伝えたい」と話した。

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お熊甲祭、万博に「出張」 8月、妙技「島田くずし」披露
5/7(水) 5:02配信

 ●七尾・中島から200人派遣団

 世界の祭典に能登復興の思いを込めた深紅の巨大旗がたなびく。8月に七尾市中島町の国重要無形民俗文化財・お熊甲祭(くまかぶとまつり)が大阪・関西万博に「出張」することが決まった。高さ約20メートルの枠旗を地面すれすれに傾ける妙技「島田くずし」を披露しようと、住民200人が派遣団を結成。能登半島地震の被災地では祭りの担い手不足に拍車が掛かっており、約400年続く奇祭を発信して「祭りの宝庫・能登」を後世に伝える足掛かりにする。

  ●能登の祭り、後世に

 万博会場西側の屋外広場・EXPOアリーナで8月27日、被災地支援を目的に石川県の祭りを紹介するイベントが設けられ、お熊甲祭が再現される。奉賛会や中島地域づくり協議会、住民有志らが3月下旬に「能登なかじま枠旗祭実行委員会」を設け、万博参加の準備に取り掛かっている。

 計画では、太鼓や鉦(かね)の音を響かせ、枠旗3本を担いだ男衆が「オイッサー、オイッサー」の掛け声とともに島田くずしを繰り出し、天狗(てんぐ)の面を着けた猿田彦が軽妙な舞を披露する。来場者の体験用として枠旗1本が用意される。

  ●世界発信は38年ぶり

 枠旗の妙技が世界に発信されるのは、1987年にタイ・バンコクで開かれた日本とタイの友好イベント以来38年ぶりとなり、地域づくり協議会の杉木勉会長(67)は「お熊甲祭をアピールする絶好機だ」と期待を膨らませている。

 人口減を背景に祭りの担い手不足は全国的な課題であり、能登も例外でない。お熊甲祭もかつては久麻加夫都阿良加志比古(くまかぶとあらかしひこ)神社の19の末社全てから枠旗が出ていた。近年は枠旗を出せない地域も増え、地震でふるさとを離れた人がいることで担い手の確保がさらに難しくなっている。

 8月27日のイベントには、お熊甲祭のほか、あばれ祭(能登町宇出津)、飯田燈籠山(とろやま)祭り(珠洲市飯田町)などの継承団体も参加見込み。県や七尾市が枠旗や太鼓などを運ぶ費用を補助する一方、派遣団の交通費などは自己負担する必要があり、能登なかじま枠旗祭実行委は派遣の支援費を募るクラウドファンディング(CF)を始めた。

 実行委の村田正志委員長(77)は「伝統の存続をかけてオール中島で枠旗を発信する。能登の祭りの助っ人が増えればうれしい」と話す。

 

 ★お熊甲祭 約400年の歴史があり、5日に閉幕した「青柏祭」などとともに七尾四大祭りに数えられる。毎年9月20日中島町の久麻加夫都阿良加志比古神社に各地区の枠旗や神輿が集結する。新型コロナや悪天候により枠旗を繰り出せたのは過去5年間で2023年のみ。担い手確保のため、昨年限定で開催日を平日から土曜日に変更する措置が取られた。

メモとして。リンク先はヤフーニュースですが、いずれも北國新聞からです。