パフューム

18世紀のフランス、嗅覚が異様に鋭い無臭男の物語。
原作は『香水―ある人殺しの物語』パトリック・ジュースキント(翻訳:池内紀)。これ、翻訳本が出たとき話題になってましたよね。いろんなところで書評を読んだ記憶がある。匂いをここまでよく描いた小説はめずらしい、という評が多くて、しかし書評から察するにいい匂いだけが出てくるような小説ではなくて悪臭も漂いまくるおはなしらしいようなので読まなかった。悪臭は日常避けられない場合だけで十分だと思ってますから。
この映画も、映画評では「嗅覚を映像で表現した」というのがほめことばとして出てきてたりはしてたんですけど、映画ならだいじょうぶかな、と思ってね、見に行きました。ホラーやスプラッタや戦争映画でもいいんだけれども、悪臭が漂ってきそうな場面を映画ではいくらでも見てきていて、見てるときは気持ち悪くても映画館出た後までは尾を引かないから。
私的には、文章を読んで感じた不快感は日常うっかり思い出す傾向があるんですね。映像でいえば、現実場面の記憶がそうなりがちで、その点映画は私にとっては安全物件なんですね。
時代劇なんですが、画集で見られるヨーロッパの昔の絵画の中にいるような気分にさせられました。白人は骨格といい肉付きといい、ごついですね。そして石造りの町並みの堅くて重苦しい感じ。
ベン・ウィショー演じる主人公は、人並み外れて優れた嗅覚を持って生まれ、いい・悪いの区別をすることなく臭いをそのまま受け止め、外界を嗅覚によって感じ取って成長し、自分の特異な才能を自覚してからは調香師になって究極の香水を作ろうとします。俗世間のきまりごとより神が与えてくれた自身の嗅覚がもたらす教えを信じるため、無垢なまま犯罪的な存在になっていきます。
彼はある日、自分には体臭というものがない、ということに気づきます。それは、世界に存在する生命あるものをすべて嗅覚で知る主人公にとっては、自分はこのままではこの世界に存在していないのでは?と不安にさせられる発見となります。そして、生きたいと強く意識することになり、究極の香水を求める欲望が純化されていきます。
彼が背後近くに迫っていても気づくことのない女、夜忍び込もうとする彼がまたいで通ってもなんの反応も示さない犬。無臭であることは彼にとってはつらいこと、不安にさせられることなのかもしれないけれど、この特性を活かせる道もあったのかもしれないな、とふとよそごとを考えてしまった場面。
広場に集まった人たちが「究極の香水」に酔わされるまま、生のよろこびを発散させるとき、その香水を作った主人公だけは眼前に広がる世界から疎外されたままで、そして、そんな自分は「さびしい」のかもしれない、そう思ってもいいんだ、と気づきます。川端康成ぽい感覚なのかもしれませんが、パゾリーニの映画に出てきてもおかしくなさそうなルックスの主人公は川端みたいに傲慢じゃなくて、もっとスイートな印象で、それが嫌味でないのがいい。ベン・ウィショー、えらい。
ちょっとおかしかったのは、主人公の師匠役になる調香師をダスティン・ホフマンが演じていたのですが、香水の匂いを嗅いで分析する場面で上向いて鼻をつまんだりするのを見ると、ほんとに大きくてとがっててつまみやすそうな鼻、なんですね。香水瓶を鼻にあてて嗅ぐのもあれならしやすいだろうな、みたいな。そんなダスティン・ホフマンが、ベン・ウィショーに言うんですよ。「いい鼻してるな」って。もちろん「嗅覚が鋭いな」という意味で言ってる台詞なんだけど、あのダスティン・ホフマンに鼻をほめられるのはすごいことのような気がした。

付記

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