小沢一郎はシュトレーゼマンと化しているのだろうか?

小沢一郎については「規制緩和とか自己決定とか自己責任とか、最初に言い出したのは小沢じゃないか」という声も聞かれますね。そういえば、私は読んでないのですが、『日本改造計画』(ISBN:4062064820)という本が話題になったことがあった。でも、自民党の政治家にも「今の自民党はおかしい」と言っている人がいたりするので、小沢も同じような考えになってるんではないだろうか。選挙に勝つため言ってるだけではないと思うけどな。
『世界の歴史 26』(中央公論社)では、ワイマール共和国でのシュトレーゼマンの努力を評価していたけれど(参照)、小沢も日本の現状を見て、今はこうしたほうがいいと考えているだけなんじゃないだろうか。
年金についてですが、自民党は、他党の出した案もいいものであれば取り入れますから、と言ってますね。このへんは与党は強いな。
シュトレーゼマンについて、百科事典に出てる説明を下に引用しておきます。

シュトレーゼマン Gustav Stresemann 1878-1929

ドイツの政治家。ザクセン工業界で頭角を現わし、国民自由党の国会議員として政界の指導者となった。第一次世界大戦中は強硬な併合論者として知られ、1918-19年のドイツ革命後は君主主義的排外主義の立場をとるドイツ人民党を組織した。しかし時勢に押されてしだいに共和主義的対外強調論者となり、23年8月から11月まで首相兼外相、その後も29年10月死去するまで引き続いて外相をつとめて、名外相とうたわれ、26年にはノーベル平和賞を与えられた。首相としてはフランス軍のルール占領に対する反対闘争をやめ、中部ドイツの共産派政権を鎮圧し、専門家の協力によってインフレーションを収めた。外相としては25年12月にロカルノ条約を結んで西ヨーロッパ戦勝国との協調につとめ、翌年国際連盟へ加入を許され、29年賠償問題の解決に従っている最中に死去した。彼は他方ではソヴェト赤軍ドイツ国防軍の秘密協力に黙認を与え26年4月にはドイツ・ソヴェト友好中立条約を結ぶなど、ソ連邦と西ヨーロッパとの対立を利用してドイツの国際的地位を高めようとした。 (村瀬興雄)
(引用元:世界大百科事典 平凡社 1974年版)