マンガ

アメリカでは映画やテレビドラマがまだまだ盛んなのかもしれませんが、日本では、アメリカで映画が担っているドラマの楽しみはマンガが引き受けているのかもしれません。アニメも含まれるのかな。じつは私自身はもうマンガをあまり読まなくなっていて、現状には疎いのですが、マンガやアニメに関しては、続きを楽しみにしている人や登場人物に思い入れしていろいろ語る人、キャラそのものを愛でて絵を集める人などよくおられますので、昔なら映画が対象になった楽しみは日本ではもうマンガやアニメに主軸が移ってしまっているのかな、と。
ただ、マンガについては、字を読むのがほんとうに嫌いな人はマンガも読みませんので、当然そうなると小説も読まないわけで、そういう人たちも映画やテレビドラマなら観て楽しめるのになあ、というのはあるわけです。
小林信彦「流される」では、映画会社の重役にとにかくシナリオを書いてみてくれといわれた主人公が、泥縄で勉強してひとつシナリオを仕上げるのですが、映画会社のシナリオ担当者がそれを読んで「人間が描けていない」とかいろいろ文句をつけて、主人公は憮然とするわけです。主人公(これは若き日の小林信彦と見ていいでしょう)にとって映画は一夕の楽しみで、人間を掘り下げで描き出すような類の表現なら小説になるだろう、少なくとも自分は映画にそういうものは求めない、と内心つぶやく場面がありました。
これは個人的にはよくわかる心情です。映画と小説に対しての姿勢という面で私は小林信彦と似たところがあるようだと「流される」を読んで思いました。しかし、とにかく字で書かれたものを読むのが苦手な人というのはいて、そういう人は映画なら観たりするんです。そして、そういう人たちがいつもいつも映画で一時の娯楽を求めているだけなのかといえばそうではない。時には、人生について深く考えさせられるようなドラマだって観たい。
小説と映画は役割がちがうだろうと簡単にすませられないというのもあるんですね。べつに映画でなくテレビドラマでもいいんですけれども、小説やマンガがあるからなくなってしまっていいものかというとそうではないだろうと。
冬ソナやチャングムは口コミで広がって人気が出たんじゃなかったかな。テレビドラマ、観てる人はいるわけなんですよね。小説よりは観てもらいやすいよね、テレビはね、いまでも。