最後の忠臣蔵

吉良邸討ち入りから16年後。生き残った赤穂浪士の一人が、討ち入り前夜に逃亡した武士に出会う。
寺坂吉右衛門(佐藤)は吉良邸討ち入りの後、大石内蔵助(片岡)から事件の真実を遺族に伝え、生活の支援を届けろと命じられ、ひっそりと落ち延びて各地に散った赤穂の遺族を訪ねて回った。最後の遺族に会い大石の遺志を果たしたそのあと、偶然一人の男を見かける。それは、討ち入り前夜に逃亡した瀬尾孫左衛門(役所)だった。
命惜しさに逃亡したと言われている瀬尾だったが、瀬尾をよく知る寺坂はその噂が信じられないでいた。瀬尾は大石から内密に、生まれてくる自分の子供の世話を頼むと言われていたのだ。そしていまは、16歳になる大石の娘・可音を守りながら、身元を隠し商人として京都で暮らしていた。
その可音に、天下の豪商・茶屋の嫡男が一目惚れ、ぜひ妻にしたい、可音という娘の身元を探ってくれと、出入りの商人である瀬尾は頼まれてしまうのだったが……。
忠臣蔵の後日譚。冒頭で寺坂が最後の遺族に討ち入りの経過を説明し、自分が訪ねて回った赤穂の遺族たちの現状を語る。おなじみの雪の夜の討ち入り場面も回想として登場、赤穂浪士たちのメタルな美意識に統一された衣装が雪景色に映える。アクションも小気味よい。仁左衛門が出ると締まります。そして16年後の京都に舞台が移ってからも、話がテンポよく進み、退屈しない。
赤穂浪士の討ち入りが武士の鑑とたとえられ、民衆レベルで美化された物語として伝えられようになってから、生き残った元赤穂の者たちはかえって生きづらくなった、劇中で寺坂はそう言う。しかし、傍目からどう見えようと、瀬尾も寺坂もまた主君の命に殉じた武士である。おはなしの世界全体が、時代劇という夢空間の中で日本の美意識を活かして丹念にこしらえられており、いかにも時代劇な台詞もこの世界の中ではリアリティをもって響く。
この物語は、つらさに耐えて生き延びた人たちを鎮魂しようとしているのかもしれない。
役所演じる瀬尾がもてすぎではないかという気もするが、気持ちの揺れを見せながらも最終的には「武士でござる」のひとことで、瀬尾は自分を律してしまう。このあたりは、ああ原作が村上春樹じゃないのね、というかんじ。
また、若い二人を演じた桜庭ななみ山本耕史がとてもよかったです。
武士が主人公だが内実は人情話みたいなおはなしだったが、そのわりにはハラキリがこってりしていたのは製作が外国人だからなのだろうか。
幕開けに文楽が登場、劇中でも合い間合い間に文楽が挿入され、登場人物の感情を代弁するかのように浄瑠璃が響く。そして「武士でござる」と自分をまとめる男の心中に女はいらないのだ。
劇中の芝居小屋のシーンは、金丸座でロケされたそうだ。

おまけ

劇中、芝居小屋で演じられる人形浄瑠璃では、当時の雰囲気を出すためか、主使いもすっぽりと顔を隠し、黒子に徹している。これ、現代では、もうできないことなのだろうか。主使いは文楽のスターだから、顔を見せるのも大事なのだろうが、舞台に出てきて客に顔を見せた後は、さっと顔を隠してもらえれば、舞台が人形だけの世界になるのに、と思ってしまうんですね。ああ、文楽