キャリー

いじめられ続けたキャリーが、プロムの夜に爆発する。
キャリー(クロエ・グレース・モレッツ)は、偏狭な母親(ジュリアン・ムーア)と二人暮らし。家では母親におびえ、学校でもその影響から同年代の人達にうまく溶け込めず、仲間外れにされていじめられることが続いていた。高校卒業が近づき、これまで自分がキャリーに対してした行いに自責の念を覚えた一人のクラスメイトが、せめてもの罪滅ぼしにと自分のボーイフレンドにエスコートさせてキャリーがプロムで楽しめるようにしたいと考える。キャリーも、プロム参加をきっかけに、母親から自立したいと思い出したのだが。……
1976年の映画化はブライアン・デ・パルマ監督の出世作となった。中高年世代だとデ・パルマ版を封切りで見た人がけっこういるのではないだろうか。そのせいで、デ・パルマ版と比べられそうだし、また、映画化として比べてみるのもおもしろいだろうけれども、ひとまずは、スティーヴン・キングの小説『キャリー』の2013年版映画化作品として楽しんだ方がいい。女子中心に描かれた青春映画の佳作だ。
キャリーを演じたクロエはふつうにかわいいのだけれども、学校で仲間外れにされておどおどしているから暗く見え、またそのおびえた様子がいじめっ子体質の人を刺激してしまう。いじめっ子に同調するかのように授業中にキャリーをからかうクソ教員、そういう教員にむかついてキャリーを庇うような発言をする男子生徒、いじめからキャリーを守ろうとする体育教師、仲間外れにしていたキャリーのことが気にかかり、なんとかしたいと思い始めるクラスメイト。普遍的でリアルな高校風景。
また、孤立状態で過去の傷から立ち直れず、自傷を繰り返しながらも洋裁とクリーニングで身を立てキャリーを育ててきた母親の姿も、生々しく痛ましい。
デ・パルマ版よりは、クロエ演じるキャリーは自分が超能力を持っていることを自覚すると、それを自分の持つ可能性と前向きにとらえて活用しようとする意志の強い少女として描かれており、自分の成長をよろこんでくれない母親に、それはおかしい、私だって生きたい! とはっきり表明する。ただし、前作で母親を演じたパイパー・ローリーにくらべると、ジュリアン・ムーアはガタイがいいので、端的にパワフルでこわい。
プロムの夜の大惨劇も、それまでの流れに乗って見ていると、あれくらいやって当然、やられて当然の、ま、そういうおはなしで、「いじめ」という話、場面自体を観たくない人には薦められないが、いじめっ子の醜悪さが劇の中で見られますので、あいつらああなんだ、と、観客として観察することができますよ。
観終わって思ったのは、CGなどの発達した現在の方が、スティーヴン・キング作品の映像化にはよい環境になっているのかもしれない、ということ。『ファイアースターター』など、今なら大迫力でやれるのではないだろうか。