『たくさんのふしぎ』2024年6月号(第471号)「ウンム・アーザルのキッチン 文:菅瀬晶子;絵:平澤朋子」福音館書店

児童向けなので、総ルビ付き。kindle版も出てますが、紙の本の方には「ふしぎ新聞」も付いていて、そこに、作者のことば・菅瀬晶子「ふつうの人の暮らしからみえてくる中東」が載っています。

 まず、イスラエルの地図。ウンム・アーザルの住むハイファの位置が示されます。ハイファはアラブ人とユダヤ人がいっしょに平和に暮らせるイスラエルでただひとつの街だということ。
 イスラエル建国と、そのことによるパレスチナに住んでいたアラブ人の生活環境の変化も説明されています。ウンム・アーザルもその変化がきっかけで、14歳で家族と共に生まれ育った村からハイファに出て働きはじめたということです。
 文化人類学者としてイスラエルのアラブ人キリスト教徒のことを調べている著者は、イスラエルでウンム・アーザルの世話になり、いっしょに暮らす間に料理の手ほどきも受けたそうで、この本でも二人が修道院にまかないの仕事に行くところから始まります(著者はウンム・アーザルの手伝いができるのですね)。
 きれいな絵と共に、ウンム・アーザルの作る料理が紹介されていきます。そして、いまは孫が訪ねてくるのを楽しみにしているウンム・アーザルの子供時代からこれまでをたどることで、ユダヤ人の国イスラエルではマイノリティとなるアラブ人の、その中でもさらに少数派となるアラブ人キリスト教徒の暮らしぶりが描かれます。
 ウンム・アーザルのお孫さんの1人はウクライナの大学で医学の勉強をしているとありましたが、「作者のことば」によると、その孫はロシアのウクライナ侵攻の前年に大学を卒業し、今はハイファ市内の病院で働いているとのこと。著者はいまでもウンム・アーザルと連絡を取り合っているそうです。
 きれいな料理の絵を見るだけでも楽しいですし、中には作り方が書かれている料理もあります。また、ニュースでは紛争の話ばかりになりがちな中東の人々の日常生活が見られるのもうれしい。
 くわしくは読んでみてください。

ニューカレドニアに軍派遣/仏が非常事態、死者4人

www.shikoku-np.co.jp

ニューカレドニアに軍派遣/仏が非常事態、死者4人
2024/05/16 05:22

 【パリ共同】フランスのアタル首相は15日、暴動が発生した南太平洋のフランス特別自治ニューカレドニアの港と空港の安全を確保するため、軍の派遣を発表した。フランスメディアが伝えた。政府は15日午後8時(ニューカレドニア時間16日午前5時)、ニューカレドニアに非常事態を宣言した。新たに憲兵が1人死亡し、死者は4人になった。

 アタル氏は、ニューカレドニアで中国系動画投稿サイトTikTok(ティックトック)を禁止するとも発表した。デモや暴動の呼びかけを懸念したとみられる。今後、非常事態宣言下で移動や集会の制限などの措置を取る。

メモとして。

 

 

ニューカレドニアについては、NHKラジオまいにちフランス語2024年3月号の、応用編「フランコフォニーとは何か」の第46課で、日本との関係が取り上げられています。1892年から25年間にわたり、鉱山で働くために日本からおよそ5500人が移民としてニューカレドニアに渡り、大部分は中心都市ヌメアに住み、現地のカナック人女性と結婚し家庭を築き、中にはフランス国籍を取得した人もいたそうです。しかし、第二次世界大戦が起こると、ニューカレドニアレジスタンスに参加、真珠湾攻撃の後は日本人居留者はスパイ活動の恐れがあるとして拘束されたそうです。

 

まいにちフランス語2019年11月号では、応用編「フランスで『世界』と出会う」第16課の「Florenceに訊いてみよう!」のコーナーで、ニューカレドニアには日本人移民の子孫がいて会うことができると語られています。第二次世界大戦後、日本人移民は日本に引き揚げなければならなかったそうですが、子孫は残っているんですね。

 

まいにちフランス語2024年度前期では、応用編は2023年度後期の再放送なので、先に紹介した「フランコフォニーとは何か」を受講できます。フランス語の歴史からはじまって、現在フランス語が話されている世界各国を取り上げる講座、今週はベルギーでした。ニューカレドニアについては予定だと10月に取り上げられます。とてもおもしろいので、聴いてみてください。

 

 

 

 

 

『世界』2024年6月号 橋本伸也「「歴史家論争2.0」とドイツの転落 「過去の克服」の意味転換」

 

 筆者は中東欧・ロシアを中心にヨーロッパの歴史・記憶政策を批判的に観察してきたが、ここ数年、ホロコーストや植民地ジェノサイドの歴史と記憶を扱う研究分野では、ドイツの記憶文化への批判が顕著となった。これを踏まえて本稿がめざすのは、「外部」からの観察と批判というプリズムを介して現代ドイツの一断面を提示することである。
(引用元:『世界』2024年6月号 p.202)

 「歴史家論争1.0」は、1986年、スターリニズム犯罪を持ち出して免罪を狙う右派によるホロコースト相対化論に対抗して、左派がホロコーストの比較不可能性を主張し勝利、「過去の克服」や記憶文化の形成に大きく寄与した。
 その後、ポスト冷戦時代に、植民地ジェノサイドをはじめ他事例との接続と比較によって、ホロコーストの語り口は大きく変化する(バシールバシールアモス・ゴールドバーグ編『ホロコーストとナクバ――歴史とトラウマについての新たな話法』水声社、など)。
 2020年頃から起こった「歴史家論争2.0」では、かつて相対化論を掲げた右派が比較不可能性と唯一無二性に固執するようになり、時代の変化に取り残された左派は、右派と同盟する結果となった。
 また、IHRA(国際ホロコースト想起同盟)は、2016年のブカレスト総会で「反ユダヤ主義作業定義」なる文書を採択したが、そこで「反ユダヤ主義」の定義を具体化する指針として掲げられた11項目の例示中7項目がイスラエルを扱い、解釈次第でイスラエル政府への批判の多くを反ユダヤ主義扱いできることとなった。この定義は、各国の行政で疑似法規的に扱われている。 
 そして2019年のドイツ連邦議会によるBDS非難決議は、BDS運動をかつてのナチのスローガン「ユダヤ人からは買うな!」と重ね合わせて糾弾(記憶の濫用といえる)、結果としてBDSに賛同する文化人や移民の排斥につながっていく。
 ホロコースト言説の再審が迫られている。
 くわしくは『世界』2024年6月号で読んでみてください。

 


 以下は、読んだ後の私の感想になりますが(とっちらかるぞ)
ポグロムを起こしたロシア(旧ソ連圏)や、イスラエルの最大支援国アメリカではなく、ホロコーストイスラエル支援でドイツばかりが叩かれるのは敗戦国だからなのかあって(日本人としては、ドイツは不器用だから損してるように見えてしまってたりする)。
 第二次世界大戦で、人類は二度と起こしてはならないこととして「ホロコースト」と「原爆投下」を二大禁忌としてきた筈なのですが、ホロコースト言説の揺らぎと連動するように核兵器使用についての見方も揺らいできているのかもしれない。
 小林信彦『物情騒然。』(文春文庫)を読むと、2001年は夏に映画「パールハーバー」が公開され、その後9.11が起きているのですが、今年は春に「オッペンハイマー」が公開されているんですよね……
 また、今、アメリカの大学で、ガザ攻撃をめぐってイスラエルへの抗議、パレスチナとの連帯を示す学生デモが盛り上がっているのがニュースになっていますが、私には、2月にワシントンD.C.イスラエル大使館前で起きた若い白人男性米兵の焼身自殺の方が心に刺さっています。イスラエルとは直接関係ない理由での白人男性焼身自殺もニューヨークでありましたね。どちらも、危うい人がいたという話になるのでしょうが、危うい人は予兆に過敏に感応したりするので。

 

 

 

 

『世界』2024年6月号 渡邉琢「「ALS嘱託殺人」と隠蔽されたもうひとつの事件 後編」

 

通称「ALS嘱託殺人事件」の大久保愉一(よしかず)被告に対する裁判は、次の3つの事件を取り扱う裁判だった。
1) 精神障害を有する高齢者殺人事件(10年以上前に起きた)
2) 有印公文書偽造事件
3) ALS嘱託殺人事件
この3つの事件全体として「懲役18年」の判決が下り、量刑として最も重かったのは1)の殺人事件「懲役15年は下らない」。前編では、3)の影に隠れた1)の殺人事件についてくわしくレポートしてくれていた。
 後編では、傍聴メモや大久保被告のXのポストなどをたどりつつ、大久保被告の死生観、なぜそうなるに至ったか、そして、1)と3)がつながることのこわさを伝えてくれている。
 大久保被告は「コミュ障」の自覚があり、生きづらさから自殺未遂を繰り返し、安楽死を研究することで心の安定を保っていた。そしてSNSで他の自殺願望を持つ人たちとつながり、そこから2)と3)の事件が起きる。希死念慮に取りつかれた人は、他者の生死についての見方も死に傾きがちになり、そこから1)の殺人にもつながっていく。
 「ALS嘱託殺人」についてはニュースを見て同情する人たちも多く、ヤフコメなどには「生きたい人は生きればいい、でも…」といった言い方で感想コメントが書き込まれる。それがまた「世間の見方」を醸成する一因ともなるが、そのような流れは、困難を抱えながらも黙々と生きている人や彼らの生を支える人たちの存在を見えなくさせてしまう。

 死の権利の行使を主張する人たちは、生きたい人は生きればいいという。だが生きたいと意思表明しない人について、生きさせようとする努力を肯定することはまずない。結局、意思表明できない人について、その死を容認してしまうのだ。
(引用元:『世界』2024年6月号 p.177-p.178)

 死の自己決定権の主張と障害者・高齢者の存在の否認が通底してくる。その例として、ナチスドイツが、難病の女性が死を願い、医師である夫が彼女の願いを実現するプロパガンダ映画「私は告発する」を上映し、その裏で、知的・精神障碍者安楽死させるT4作戦を行っていたことを挙げる。
 安楽死先進国がホロコーストを生んだ文化圏であることを忘れてはならない。
 くわしくは、『世界』6月号で、読んでください。