『世界』2024年6月号 渡邉琢「「ALS嘱託殺人」と隠蔽されたもうひとつの事件 後編」

 

通称「ALS嘱託殺人事件」の大久保愉一(よしかず)被告に対する裁判は、次の3つの事件を取り扱う裁判だった。
1) 精神障害を有する高齢者殺人事件(10年以上前に起きた)
2) 有印公文書偽造事件
3) ALS嘱託殺人事件
この3つの事件全体として「懲役18年」の判決が下り、量刑として最も重かったのは1)の殺人事件「懲役15年は下らない」。前編では、3)の影に隠れた1)の殺人事件についてくわしくレポートしてくれていた。
 後編では、傍聴メモや大久保被告のXのポストなどをたどりつつ、大久保被告の死生観、なぜそうなるに至ったか、そして、1)と3)がつながることのこわさを伝えてくれている。
 大久保被告は「コミュ障」の自覚があり、生きづらさから自殺未遂を繰り返し、安楽死を研究することで心の安定を保っていた。そしてSNSで他の自殺願望を持つ人たちとつながり、そこから2)と3)の事件が起きる。希死念慮に取りつかれた人は、他者の生死についての見方も死に傾きがちになり、そこから1)の殺人にもつながっていく。
 「ALS嘱託殺人」についてはニュースを見て同情する人たちも多く、ヤフコメなどには「生きたい人は生きればいい、でも…」といった言い方で感想コメントが書き込まれる。それがまた「世間の見方」を醸成する一因ともなるが、そのような流れは、困難を抱えながらも黙々と生きている人や彼らの生を支える人たちの存在を見えなくさせてしまう。

 死の権利の行使を主張する人たちは、生きたい人は生きればいいという。だが生きたいと意思表明しない人について、生きさせようとする努力を肯定することはまずない。結局、意思表明できない人について、その死を容認してしまうのだ。
(引用元:『世界』2024年6月号 p.177-p.178)

 死の自己決定権の主張と障害者・高齢者の存在の否認が通底してくる。その例として、ナチスドイツが、難病の女性が死を願い、医師である夫が彼女の願いを実現するプロパガンダ映画「私は告発する」を上映し、その裏で、知的・精神障碍者安楽死させるT4作戦を行っていたことを挙げる。
 安楽死先進国がホロコーストを生んだ文化圏であることを忘れてはならない。
 くわしくは、『世界』6月号で、読んでください。