金刀比羅宮 書院の美

参拝と「書院の美」見物に金比羅へ行ってきました。
本社までは裏参道を登った。木漏れ日の中、山道を登る。遠方から鳥のさえずりが聞こえ続けるが、静かな雰囲気に包まれる。
道は舗装され、周辺もきれいに掃除されており、絵本の世界に入って森の中を歩いているような気分になった。所々、時雨ヶ丘、つつじヶ丘、と名前がつけられたりしていて、楽しい。さざんかの花が終わり、椿がつぼみをふくらましているこの時期。五月ごろにくると花の咲いたつつじヶ丘を見られるのだろう。檜の皮がきれいに削り取られていたが、これはやっているのをテレビで見たような記憶がある。地面に目をやれば、落ち葉の色合いが冬らしく、どくだみと思われる小さな緑が生えてきていたり、いろいろなものが目にとまるので退屈しない。
本社では、何か片づけている最中だった。お正月が終わったからかな。お参りする。参拝客はけっこう来ている。幸福の黄色いお守りと狗おみくじを買う。旭社へも参る。そして神馬のいる厩舎へ。以前来たときに、厩舎に一頭だけ残った神馬が置物のように静かに立っていたのがいちばん印象に残っていたので、神馬にまた会えるかとそれをいちばん楽しみにしていたのだが、厩舎は閉まっており、その前に立てられた看板には神馬は別のところに預かってもらっており、元気ですので安心してくださいと書かれていた。がっかりすると同時に、元気だとわかって安心。4月ごろにはまた帰ってくるそうなので、そのころもう一度来たいなと思った。
お参りの後、神椿のカフェで一服。神椿は資生堂がやっているそうだ。ケーキセットを食べる。カレーパンというのもあって、注文してから揚げてくれるようだ。カフェはすごく混んでいた。
帰りに「書院の美」を見る。円山応挙の虎がよい。毛のもこもこしたかんじがすごくよくでていて、鳥とか鹿とか馬とか、おそらく当時日本でも写生しやすかったのではないかと思われる動物の絵はきわめて写実的に描かれており、それはそれですごいのだが、虎の絵は猫の姿など参考にしただろうが、写生力だけでなく想像力も多大に出力されているのではないだろうか。描かれた虎からはメルヘン的生命力がびんびん伝わってきて、メルヘン脳の私は虎さんから話しかけられているような気分になってきてしまった。ううむ。
かすみがかった遠方の富士山を眺めているような気分になる絵もあり、なぜか「パノラマ」という単語を思い出す。連想として適切かどうかはよくわからないが。「パノラマ」。私にとっては聞いたことはあるけれど自分で使うことのほとんどない単語だ。
他にも、植物図鑑みたいな絵や欄間に飛び交う蝶の絵など、おもしろいものがいっぱい。欄間の透かし彫りもすてきだ。松の木の絵もあったが、松の葉っぱの部分がハート型になっており、根元にはシロツメクサやスミレなど春の花々が繊細かつ詳細に描かれており、可憐な印象が残った。
それにしても、金箔。今見ると、年月がたっているため適度に渋めな色合いになっているけれど、出来上がった当時はもっときんきらきんな光沢だったにちがいない。わびだのさびだのというけれど、日本も派手だぞ。
田窪恭治が現在製作中の障壁画も見られました。障壁を覆うヤブツバキの絵。植物のタフさが伝わってくるようなかんじだった。田窪恭治の壁画は神椿にもあったよ。
書院ではおみやげにこんぴら狗の小さな置物を買う。人形ならぬ犬形。つい買ってしまいますね。
帰りは表参道を下りたのだが、長い石段を下りていくのは苦手だ。苦手なのを意識するとだめだと思うと意識してしまう。めんどい顔で一歩一歩踏みしめるように下りていく。両手が平均台を渡る時みたいに開き気味になってたかも。傍から見ていると不気味なながめになってたかもしれない。
ある程度下りたところで、うどん屋さんがあったので入って昼食。肉うどん。めんはこしが強く、お汁も肉うどんにちょうどいい甘辛さでおいしかった。
五月ごろ、また行きたいと思った。神馬にもう一度会いたいのだ。
金比羅宮