ノーカントリー

DVDで鑑賞。
1980年のメキシコ国境近くのテキサスで、麻薬密売に絡んだ大金を手に入れた男が殺し屋に追われる。
冒頭、肺気腫の人が携帯しているような酸素ボンベをぶら下げた妙な男を警官が連行する。そのおかっぱ頭の男の妙さ加減は常人には想定外のものだった。
次に、鹿を撃ちに来た男の場面となる。双眼鏡で遠方の鹿をたしかめながら猟をしようとしているうちに、偶然大金を見つけてしまう。この場面がすばらしい。テキサスの風景、男の仕種、鹿を追う男の目が徐々に凶行の跡へと吸い寄せられていく、その絵の流れに乗って物語の世界に引き込まれてしまった。
全体に、台詞、会話が少なく、その場面の絵、映像で出来事を見せて、おはなしがぐんぐん進んでいく作品だった。そのためか、サイレント映画の記憶を呼び起こす。殺し屋は怪物じみた存在として描かれているが、よくあるサイコ系というよりは、それこそ大昔の映画に出てくる、ありえないような神話的な登場人物を思い出させる。
1980年のテキサスでは、保安官が新聞を読みながら「最近は理解しがたい事件が増えたね」みたいなことを語ったりする。サイレント映画の時代なら、現実離れした凶悪犯でしかなかった存在が、現実感をもって街中に登場してもおかしくもなんともなくなっていたのが当時なのかもしれない。
犯行の凶悪さはともかくとして、この映画では酸素ボンベを携帯した殺し屋の常識を逸脱した価値観と行動力は、見ようによっては超人的でもあり、追われる者からすれば逃れられない運命が人体をまとってやってくるような気がするのではないかと思わせられる、重たい怖さを見ていて感じた。
もっとも、彼も人間に過ぎないことはたしかなようで、予期せぬ出来事に見舞われて、傷を負ったりはするわけだけれどもね。
どうしようもない現実、偶然、成り行き、どうしようもないことがわかっているのに、なんでそこで筋道が必要なのか、筋道なんて虚妄に過ぎないことすら最初からわかっているのに。それでも、女は殺し屋に言うんだよね、決めるのはあなたなのよ、と。
この映画、劇中では音楽も流れず、そのせいかブニュエルの映画のことも思い出した。