スローターハウス5

DVDで鑑賞。
捕虜としてドレスデン空襲を体験したアメリカ人男性の物語。
ビリー・ピルグリムは老境に達し、自叙伝を書こうとしている。彼は、無意識のうちに時空を超えてしまい、死ぬまでの瞬間をアトランダムに体験しつつ生きているのだと言う。ときにはトラルファドア星で友人と過ごしたりすることもある、と。娘夫婦はそんな彼のことを心配しているが、ビリー・ピルグリムは社会的には安定した生活者だ。
時空を超えてしまうビリー、彼がそのときそのときに体験する世界、それがまたビリー・ピルグリムの世界としてひとつにつながる様を、場面の切り替わりとつなぎで見事に描き出している。
ビリー・ピルグリムを演じた役者の顔がいい。ビリーは、どの場面においても控え目で物静かなのだが、何故かよく人に話しかけられてしまう。そして、話しかけられると一応その人の話していることを聞いてしまうのだ。自分の周囲を眺めるときも、とにかくまず目に見えるものをそのまま見てしまう。その場の自分の気分を優先して相手を制する傾向が薄い。ただ、見聞きしたことをよく覚えていて、後になって頭の中で再生することに長けており、またそうしてその場面を反芻している内にそのときの自分の思いが輪郭をはっきりさせて感得できてくる、そういうタイプの人物に見える。小説やエッセイを書くのに向いていそうな気質の持ち主なのではないか。原作者のカート・ヴォネガット・Jrは、この主人公に近いのかもしれない。
日常生活の中で出会う人にとっては、その場にいるのに傍観者みたいで、反応がいまひとつ鈍いので、腹を立てる者もいるだろう。
仕事も安定し、家庭生活の中では、奥さんに愛され、子供たちも立派に育っていくのだが、とくに家族といるときは、飼い犬のスポットをかまうことで浮き上がりそうになる自分をなだめて、家庭の平和を守ろうとしている、そういうお父さんだ。それは同時に、自分を守っているということでもある。
徴兵された第二次世界大戦中、ドイツで捕虜となり、移送されたドレスデンで米軍による空襲を体験する。移送されてきたビリーの目に映ったドレスデンの景色、街並み、そこに住む人々、鮮やかにビリーに記憶された生きる街が、防空壕から出てきたとき廃墟となっている。その怖さと、それでも変わらず過ぎていく日々の暮らしと。
映画の題名「スローターハウス5」は、ドレスデンで捕虜となった主人公ら米兵が宿舎としてあてがわれた建物を指す。ドレスデンでの体験は、ビリーに大きく影を落としているのだが、この物語の主人公・ビリー・ピルグリムは、一人で絶望する傲慢さを回避できる謙虚さを最期まで失うことがなかった。誰にも気づかれることなく立派な姿勢を保ち続けたビリーには、愛犬スポットとトラルファドア星が贈られて当然なのではないか。
だから、彼は、ウソは言っていない。それでいいのだ。
ドイツの街を捕虜として連れて行かれる米兵を、建物の上階の窓から女たちが見て、くすくす笑ったりする。一瞬、ビリーではないが時空を越えて脳裏によぎった別の映画は、ジョージ・ロイ・ヒルの「スラップ・ショット」。リーグ最下位のホッケー・チームが、やけくそで乱闘を売り物にするのだが、ホッケー場で殴りあったり転んだりする男たちを、上階の席から妻たちが見ている場面。ジョージ・ロイ・ヒルの世界というのはあるな、と感じ、それはいかにも「男の子」だなあと思わせるもので、でも映画として楽しめるように見せてくれるから、女の描き方がどうこうと難癖つける気にはあまりならない。
スローターハウス5」、音楽もすばらしい。また、ヴァレリー・ペリンやペリー・キングが目立つ役で出てるのが1972年製作の映画らしくて、なんとも。