パッション

DVDで鑑賞。
イエス・キリストがユダに密告され磔にされるまでの、最後の12時間を描く。
冒頭、月が白く輝く夜空。蒼い光に照らされるゲッセマネ、キリストと弟子がいる。キリストは弟子たちから離れ、独り神に祈っていた。同じ頃、ユダは祭司長たちの前にいた。灯に照らされた屋内、イエスを引き渡したユダの足元に投げられた銀貨がきらめく。
イエス・キリストは捕えられ、大祭司カイアファの下へ連行される。長老たちは、イエスは神を冒涜したのだから死刑にすべきだとして、総督ピラトに引き渡す。
ピラトは、イエスを鞭打ちの刑に処し、死刑にするのを避けようと試みたがうまくいかず、大祭司カイアファたちが望んだ通り、イエス・キリスト磔刑に処せられることになる。
実録イエス・キリスト磔刑残酷絵巻とでも呼びたくなるほど、拷問場面が残酷直球描写で、傷つき血みどろになった肉体が痛々しい。そして、肉が裂け血に塗れ異形観が増すのに伴って神々しさが滲み出てくるようにも見えるのは、イエス・キリストのおはなしだとわかって観ているせいなのだろうか。見世物としての残酷というより、必然性あっての残酷描写に見えましたね。
鞭打たれ大流血しぐったり倒れたイエスがひきずられていくとき、また十字架をかついで運ばされているとき、カメラがイエスの目になって、痛めつけられ傷ついた彼が見たものを映し出す。そして、苦痛の中で甦る過去の一場面。人々に神のことばを伝えた日、弟子たちとの最後の晩餐、そして、母親と暮らしていた頃のこと。
大司祭カイファイにしてみれば、イエスが秩序を乱す反逆者に見えるのも無理はないし、植民地統治に頭を悩ませるピラトのしんどさも伝わってくる。兵士がストレス解消とばかりに拷問ではじけるのも、群集が罪人いじめにはしゃぐのも、人間の劣情だけは時代を越え国境を越えこんなもんよねえと思わされる。だからこそ、劣情に流されるな、という教えも時代や国境を越えるのかもしれない。
美術や衣装がすばらしい。音楽も、中近東風の調べや打楽器を活かし、ドラマの世界の響きを伝えてくれる。役者もうまいです。
終盤で、磔刑場を神が見下ろしているかのように俯瞰で捉え、そこに天から水が一滴。そして地上では神の徴が顕在化する。
イエス・キリストへの篤い思いをまっすぐに表現、その直球勝負の本気度が結晶化したような作品だった。このような作品を撮らせてしまう宗教の力というのはやはり畏怖すべきものだ。