紳士協定

DVDで鑑賞。
ジャーナリストがユダヤ人排斥の実態を探るため、ユダヤ人になりすます。
ジャーナリストのフィル(グレゴリー・ペック)は、カリフォルニアから、ニューヨークの週刊スミスに招かれ、ユダヤ人排斥感情についての記事を書くように依頼される。フィルはカリフォルニアから引越したばかりでニューヨークに知人がいないという点を活かし、自分自身がユダヤ人であると名乗り、周囲からどのような扱いを受けるか体験することで記事を書くことに決める。
ユダヤ人になりすましたフィルは、それまで経験したことのなかった侮辱や排斥にあう。
劇中では排斥されるユダヤ人と排斥するクリスチャンという分け方になっている。1947年の映画だから、ニューヨークが舞台になっていても画面に登場するのは白人だけ。ユダヤ系の場合、外見からでは白人と区別がつかない者も多いのだが、就職に不利だからと改名した人がおり、ある科学者は宗教や人種は科学的ではないとすることで差別をかわそうとする。店やホテルによっては、ユダヤ人だとわかると客として受け入れない。抗議しても周囲のクリスチャンから冷ややかな目で見られるだけ。差別を指摘すると、いや私にはユダヤ人の友人もいるし…という言い訳をする人など、差別にまつわる様々な人の振る舞いが見られる。
フィルの恋人・キャシーは、彼の仕事に理解がある人物だが、反ユダヤ主義告発にのめりこむフィルから、日常場面で見せたクリスチャンを優位とみなす言動をいちいち差別的と指摘されることに耐えられなくなり、別れたいと言い出す。このときのキャシーの台詞は、差別される側からすればいい気なものになるのだろうが、差別はいけないと思っている差別する側にいる人たちにとっては共鳴できる部分があるのではないだろうか。この映画は、フィルと恋人のラブストーリーの側面も持っており、最後はハッピーエンドになるのだが、それはキャシーが差別発言には黙って聞き流すのではなく抗議すると決心することで訪れる。
人工国家アメリカの理念を信じる姿勢が理想的に描き出された映画だった。いまの日本では在日や同和の差別を描くとすればどのような映画になるだろうか。
差別を取り上げたという点は立派なのだろうが、いまひとつ私はおはなしに乗り切れなかった。なりすましルポというのが観ていていやなかんじがしてね。必要あってやってるのはわかるのだが、記事書いた後で「だましやがったな」と怒る人が出てもおかしくないんじゃないかなあ。怒るのは、ユダヤ人や、差別反対してる人の中から出てきてもふしぎじゃないと思うし。
主人公の親友役でジョン・ガーフィールドが出ているのが目についた。この俳優は赤狩りで追放されたと聞く。監督のエリア・カザンは、赤狩りの際、裏切り者になることで生き延びたと今でも批判する人がいる。川本三郎は『スタンド・アローン』*1エリア・カザンを取り上げていたが、トルコ出身のギリシア系移民で、トルコでもアメリカでも苦労したカザンが、窮地に追い込まれたときアメリカ社会でのサバイバルを選んだこと、赤狩りで転向してからカザンの映画には、アメリカ社会を懐疑的な目で見る作品が増えたということを、それを読んで知った。
カザンの裏切りで実害を被った人はともかく、映画だけを観て楽しんでいる私などはとてもカザンの悪口を言う気にはなれない。あらかじめ疎外されていた者にとって、疎外した社会への最高の復讐は、その社会の真ん中で成功してみせることだったりもするしね。

*1:私が読んだのは雑誌連載のときで、日本版ELLEだったんじゃなかったけかな