連休前のすずろ書き

ふとオバマが大統領になってすぐくらいの時期にマイケル・ジャクソンが亡くなったことを思い出し、そしてオバマの任期終了が近づくこの時にプリンスが急死した偶然に因縁のようなものを感じてしまった。
このような発想は今時人種差別的だと鼻白まれるのだろうなというのもあるのだけれども、ぼんやりと想像が広がっていく。
漠然としたものだが、私的な日記としてすずろに書いていこうか。
マイケル・ジャクソン、プリンス、マドンナが同年生まれだと知った。彼らの生年までは知らず、ただ80年代のMTV時代にスターになった人たちとして覚えていた。彼らの成功譚は音楽誌では60年代、70年代のロックスターの語られ方をなぞるような形でまとめられていたように記憶する。前の時代に作られた幻影が投射されていたというか、たんにそういう語り方しか音楽ライターが知らないのかはさておき。
アメリカの映画やポップミュージックにおける成功はアメリカが理想としたがった民主主義の勝利の戯画化のように見えることがあった。そういう大衆文化は、アメリカ白人男性の文化だった。しかし、私が物心ついて自分から映画やロックに興味を持ちだした頃には、映画はアメリカン・ニューシネマがテレビで放映される少し昔の作品だったり、ロックのムーヴメントはパンクだったりしたので、アメリカ白人男性の平等幻想が輝いていた時代をリアルタイムで楽しんだのは、自分よりは上の世代になるのだろうなと思っている。
1980年代、もちろんMTVによってスターになった白人男性もいるわけだけど、マイケル、プリンス、マドンナ、という非白人男性のスターのほうが印象は強烈だった。有色人種や女性だったからなんだろうな。しかし白人男性なら演じられた役、例えばニューシネマの中の敗者の姿を彼らが演じて尚意味あるものに見えるだろうか、意味はなくとも魅力的に映るだろうかというと、属性や立ち位置のちがいからそれは無理な気がする……
まあそんなことを思い出して、しかもすべてこれ今は昔のおはなしにしかならないよなあ、ということで、20世紀は完全に過去になってしまっているのね。
話は切れて飛ぶようで自分の中ではつながっているのだけれども、バーニー・サンダース低所得者層の投票率が低いことを嘆いていて、それはたしかに「悲しい現実」なのかもしれないのだけれども、時代が変動する時、まず弱い者が変化に適応していく。生き延びるためにはそうするしかないから。だから、それは「悲しい」だけでもないんじゃないか、と思って。
ところで、ニュースで見る限りでは、トランプとサンダースには、20世紀型ポップスターを連想させる目立ち方しているように見えたりもして、トランプがど派手なロックスターなら、サンダースはアコギ一本の社会派シンガーソングライターみたいなかんじなのかな。
アメリカ白人男性が夢を見られなくなった時、20世紀後半に信じられていた幻想も消えるのではないか。だからもう、そんなものはとっくの昔に消えている、なのかもしれません。
そんなことをつらつら思った、連休前。