サイコ リバース

DVDで鑑賞。
二重人格に苦しむ孤独な男性の話。
ピーコックという田舎町で、母の死後一人暮らしを続ける銀行員・ジョン(キリアン・マーフィ)。彼は、エマというもうひとつの人格があり、ジョンの妻のような振る舞いをするのだが、それは支配欲が強く歪んだ性癖のあった亡き母の残影のごときものであった。
エマになるのは家の中だけで、小さな町で、人づきあいの苦手な独身男性と見られていたジョンだが、ある日、家の近くを通る線路で脱線事故が起こり、自宅近辺へ車輌が横転してくる。そのとき、ちょうどエマになっていたジョンは、事故を知ってかけつけた人々にエマの姿でいるところを発見されてしまう。しかし、人々はそれがジョンだとは気づかず、独身だと思っていたが実はエマという妻がいたのかと思ってしまった。
それ以後、エマが外出して人と関わる機会が増え、ジョンは自分が消えてしまうのではと苦しむようになるのだが。……
冒頭に映るアメリカの平原、淡々とどこまでも広がる畑、空と地平線がくっきりとわかれる風景の中にぽつんと立つ一軒家、そばで風に葉をゆらす大きな木。「大草原の小さな家」にも出てきたようなアメリカの田舎、それは犯罪実話マニアには、あのエド・ゲインのことを思い出させる景色でもある。
「サイコ」のノーマン・ベイツも、「羊たちの沈黙」のバッファロー・ビルも、原型になったのはエド・ゲインだった。
この映画の主人公は、ノーマン・ベイツからヒントを得て、それをちょっとちがった形に仕立て直してみた、といったところか。ジョン/エマを演じるキリアン・マーフィが唯一の見所のような作品だった。マーフィの演技はすばらしい。
でも、これはおはなしに無理がありすぎる。キリアン・マーフィは細身で、背がそれほど高いわけではない(共演者に彼より大きな男が何人も出てきていた)ので、カツラをかぶりワンピースを着ると、遠目からは女性にも見える。しかし、さすがに顔がアップになると、どう見ても男が女装しようとして化粧した顔にしか見えないんだよね。
全体に暗い画面が続くのは、そのへんをぼやかそうというのもあったのかもしれないが、あまりに続くと見ていてうっとおしいかんじがするし、はじめて会った人が気づかないのはともかく、母親が生きているころからジョンとつきあいのある人がまったくエマがジョンの女装であることに気づかないというのは、いくらなんでも不自然すぎやしないだろうか。
まあ、この映画を見続けるなら、それを言うのは野暮ということになるのかもしれない。実際、私は36分ごろギブアップしかかったのだが、ちょうどそのとき映っていたエレン・ペイジの芝居がうまいなとも思い、このエレン・ペイジの顔立ち見てると市原悦子を思い出すな、この人はこれからアメリカの市原悦子になるのかもしれないなと、まったく他事を考えながら持ちこたえた。とにもかくにも最後まで観終わると、時代設定が1940年代か50年代か知らないが、いまほどDNA鑑定など捜査方法が進んでいなかったであろう年代になっていることだけには妙に納得がいった。
暗い画面ばかり続くといってしまったが、陰影が濃く赤味がかった映像が非常に美しい絵となって映る場面もあり、出演している役者も皆うまい。
しかし、他の人には薦められないな。とりあえずキリアン・マーフィだけは観ておきたい、という人なら大丈夫かも。