おだやかなナチ日和

日本の戦争中の話など読むと、物資不足が深刻になり空襲がはげしくなるまでは、一般市民は戦争をさして意識することもなく、今と変わらないような生活をしていたのがうかがえる。
これは、ナチに支配されていたドイツも同様だ。ナチというと、その様式美ゆえに映画の中では完成された敵役にされることが多く、またドキュメンタリーでも、当時の光景を伝える際に用いられるフィルムがナチが宣伝用に制作したものだったりするので、当時国民規模でカルト化していたかのような極端なイメージを持たれやすいが、一般人のナチ支持は流動的で、さして政治には関心を持たない大勢の人たちは、ナチ時代も上のすることにぶつくさ言ったりしながら日々の用事をこなしていくという、今の私たちと同じような日常を送っていた。
たしかに一部には、ナチによって弾圧された人々がいた。「国民革命」と称してユダヤ系や共産主義者に代表される左翼系をテロで脅かし、彼らとそうではない人々を分断した。また、障害者などナチによって健常者と見なされない者は排除されるべき者となり、肉体的に抹殺されていく。前科者や反体制分子も「健常者と見なされない者」となった。
しかし、大勢の一般市民は、健常、とまでは言わなくても、まあ、非健常とは呼ばれないですむようなフツーのドイツ人でしかなくて、そうなると特に弾圧や排除をされるわけでもない。すると、一部の人たちが迫害されていてもあれは自分たちとは異質な人たちだし、異質な人たちに共鳴すると自分も異質寄りになって排除の対象にされるかもしれないし、そうはなりたくはないし、ということで、私生活では個人的な楽しみに逃避しながら日々をやりすごしていたのだ。つまりナチ時代の人々も今の私たちと似たような生活を送っていただけなのだった。
静かな日々、政治的な活動をする市民がとくに目立つわけでもない周りの風景、でも、そのまま社会はこれまでとはちがったものになっていくのかもしれない。