イスラエルはいつまでもつのだろう

不謹慎かもしれない。今、心配すべきなのはパレスチナの人々のことだろう。でも、イスラエル、100年後にはどうなっているんだろうかと想像しないではいられない。なんでそうなるのかといえば、私はイスラエルパレスチナに関してはたまに新聞で読んだ記事の断片くらいしか知識がないからなのだろうけど。
イスラエルに関してウェブ上で見つけた記事ではこんなのが印象に残ってる。
2003年6月、関曠野 アメリカの没落 (その三)の一節。イラク戦争であからさまになったアメリカ没落の兆候について述べられた文章、その最後の段落。

 アメリカは常に自らを神に祝福された例外的な国とみなしてきた。そしてドル、ミサイル、石油のシステムの危機がアメリカの没落を加速化している今、この例外主義は国際社会の例外的なアウトローになるという選択へと発展した。この選択は当然国際社会の反発や白眼視を招く。だがそれだけに世界平和を執拗に撹乱しつづけるもう一つのアウトロー国家イスラエルの存在は、アメリカにとって貴重なものになる。イラク戦争にはネオコンの誇大妄想以上の歴史的なマクロな文脈があるのだ。しかもアメリカを例外的な国と信ずるアメリカ人の大多数が、”愛国者”として思考停止状態のままこのアウトロー路線を支持している。だが言うまでもないことだが、アウトローという選択は自己破壊的な選択でしかありえない。こうして二十世紀はソ連の崩壊で終り、二十一世紀はアメリカの没落を背景として始まったのである。    

2003年6月号

アメリカは、宗教迫害を逃れて渡った清教徒にニューイスラエルと呼ばれていたこともあったのでしたよね。
イスラエルの問題にはヨーロッパはその出自からして深く関わっているけれど、日本はそうじゃないからな。よくわからないままいろいろ言うのはまちがいのもとなんだろうけど、新聞に出たニュース読んでると、満州ってあんなかんじだったのかな、と思ったりすることはある。
「DAYSから視る日々」によれば、今回の空爆イスラエルの選挙運動という一面があるそうだ。

忘れてはならないのは、イスラエルのガザへの空爆と砲撃による数百人の犠牲者たちは、イスラエルの選挙運動の集団的犠牲者たちだというきたない一面である。次の選挙の前に大衆の指示をより多く得るために、すべてのイスラエル指導者たちは誰が一番強く、誰がもっと殺すための準備ができているかという事に関して競っている。

DAYSから視る日々: ガザ空爆

強硬な姿勢が受ける、といえば、小泉も首相時代、ちょっとそういうところありました。
日本人は、まず日本の心配をしないといけないようです。