DVDで鑑賞。
マヤ文明後期、中央アメリカのジャングルの村で暮らしていた青年が、妻子を守るため戦う。
密林の中へゆっくりとカメラが近づき、その前をふんどし姿の男の足が横切る。緑の中へ分け入ろうとするカメラ、そのとき、密林の中から大きなバクが飛び出してくる。
数人の男たちがバクを追う。逃げるバク、追う男たち、カメラはスピーディーな追っかけを様々な角度から捉える。ときには逃げるバクの視点にもなる。勢いに満ちて映像が流れ、息をもつかせない。そのうち、骨が揺れ、仕掛けられた罠にバクがかかる。
見事に獲物を捕らえ、よろこぶ男たち。獣の腹を割き、嬉々として内臓を取り出し分け合う。
そのとき、別の部族が移動してくる。村が襲われ、“新しい始まり”を求めて森の中に行くのだという。そのことばを聞いたジャガー・パウは、不吉な予感を覚えた。
冒頭の狩りの場面が、この映画すべてを象徴している。そんな作品だった。マヤ文明後期の中米を舞台にした時代劇。主人公ジャガー・パウの住む村はマヤ帝国の兵に襲われ焼かれてしまう。父親を殺され、妻子を逃がして隠れさせることはできたが、ジャガー・パウは多くの村人と共に捕虜にされてしまう。連行されたマヤ帝国では、旱魃を鎮めるためにいけにえを捧げる儀式が行われていた。
後半は、ジャガー・パウが、マヤ帝国の兵に追われながら、助けを待つ妻子の元へと走る。
マヤ帝国後期を舞台にした、アクション時代劇だった。1970年代の日本の劇画を思い出させる絵が躍動感に満ちて流れ、緩急の間がよく、だれずに最後まで楽しめました。
あまり固いことは考えず、ジャガー・パウが妻子を助けようとがんばるおはなしとして観ればいいのではないでしょうか。全編マヤ語というのも、実録風味を出すためのギミックなんでしょう。歴史の勉強がしたい人は、図書館で本を探したほうがいいですよ。
日本のサムライ・アクションを連想させる場面も何箇所かあったんですが、日本の時代劇だって時代考証なんてのは相当いい加減なまま、アクション映画としてのおもしろさを第一に追及したものはごまんとありますし、60年代、70年代には、残酷を売り物にした時代劇も多かった。メル・ギブソンは、1970年代の残酷ブームを思い出させる作風が持ち味になってますよね。表現のどぎつさに梶原一騎的情念を感じる。
アクション場面が直球的で、全体に劇画的で、そのせいか露悪的な印象は持ちませんでした。やるべきことをまじめにやってるので、残虐な場面もまっすぐ撮ってしまう、そんな風に見えるんですね。フェリーニやパゾリーニのほうが、きっつい悪意を感じさせる場面を撮るのは上手。あれは純文学的きつさなんでしょうか。
終盤、スペインの艦隊が現れます。主人公たちに直接関わるわけではなく、時代のひとこま、背景的に出てくるだけですが、映画中盤で、病気の少女が予言した終わりが近づいているのを知らせます。
それを知った上で、主人公は、“新しい始まり”へと向かいます。希望のある物語でした。
参考
「アポカリプト」に使われたカメラについて、解説してくれているブログがあった。GENESIS(ジェネシス)というカメラなんだって。
「アポカリプト」のスピード感を検証する - そこにはなにがある